疲労時の思考

社が違うといえばそれまでなのだけど地下鉄とJRの乗り換え駅で乗り換えようとすると、ちょっとくらい待ってくれたっていいじゃないか、というタイミングでもあんまり関係なくドアを閉まってしまうことがあります。実は昨夜がそうでした。数分待てば次が来るとは云え、偶然の間の悪さにイラっとしてしまうことがあります。加えて昨夜は退勤時に雨がひどく、なので最寄駅から住んでいるところの近くの停留所までバスを利用しようとしたのですが、改札からバス停に向かう途中に横断歩道があってそこの赤信号で引っかかり、赤信号を待ってる途中でバスが行ってしまう、ということがありました。ちょっとくらい待ってくれたっていいじゃないか、とやはり思ったのですが、向こうとてダイヤがあるでしょうからそれを曲げろというのは無茶な要求です。理屈はこちらにないしすっごく些細なことなのですがすっごく些細なことでもイラっとしてしまう性格であることを昨晩再確認しました。だいたいそういうときは経験則で疲れてるときが多いので、「おれ疲れてるのかもな」とその場でおのれを納得させています。

帰宅して洗濯機をまわして洗濯物を部屋干ししていると、肌着に穴が開いてるのを確認して捨てています。ヨレヨレじゃないのにどうして?と思っても起きたことはどうしようもありません。鬼のパンツは強いっていう歌があるくらいだからいつかヒョウ柄のパンツでも買おうかなとか考え、しかしなぜ鬼のパンツが強いのかという疑問が芽生えた時点で、完全にくだらない方向に思考が転がってるのでああやはり疲れてるんだな、と改めて自覚し、はやめに就寝しています。

疲れてるときほど理屈関係なく些細なことでイラついたり思考がとっちらかったりするのですが、今日の夜になって昨日が一粒万倍日でほんとは縁起の良い日だったことを聞いて、さすがに「どこがだよ」と内心思いました。占いとか(コロナ禍以降特に)信じないほうではあるのですが疲労時って「占いとか縁起とかくだらねー」とより反発したくなることってないっすかね。ないかもですが。疲労があんまり抜けなくて余裕がないせいかも。

宣言が開けたら疲労回復を兼ねて県境を跨いでどこかへ行きたいところですが、ムリかもなあ…っていつのまにか悲観的になってて、知らず知らずに悲観的になるのも疲労時の思考っていう自覚は経験則からあります。でもなんだかそういう悲観的なことは極めて非科学的なのですが当たってしまいそうな気が。