お風呂は裏切らない

私は頭が悪いので、よそ様が使ってる言葉がよく判らないことがあります。「癒やし系」であるとかあちこちで使われてる「癒やし」はいまいちわからない言葉です。口にしたこともありません。訊く機会もないのであれはどういう意味なのか知らずにいていまに至ります。
「風呂で疲れを癒す」とかならわかるのです。これだと云う人の主体性というか「温泉に入る」というのが伴って結果として「疲れ無くす≒癒す」として理解できるのです。しかし単に「癒やし」というのはそれだけでは主体性がない曖昧模糊とした状態なうえに状況を示す言葉なのか行為を示す言葉なのか結果を示す言葉なのかそうではないのか意味がよく判らないです。というか、そもそも「癒やし」は名詞なのか形容詞なのか動詞なのかはっきりわかってなくて考えれば考えるほどあたまが痺れてきます。癒の字には元に戻るというニュアンスがあり、変化とか改善というのとは方向性が違い、根本的な問題から目を背けてる感がどうしてもあります。ゆえに「癒やし系」ってのはあんまり良い表現ではないのではない気がしてますって、てめえの想像力とか読解力のなさは横に置いておくとして。
はてな今週のお題が「私の癒やし」です。
違和感を横に置いておくと、疲れを癒すならいちばんはお風呂です。浴槽にもたれかかるように湯船に沈み込みあおむけに近い格好で目を閉じてるとなんとなく疲れが身体からお風呂の中に溶け出すような錯覚があって、疲れてるときはけっこう「疲れを取ったつもり」になったりします。ほんと「つもり」で、実際効果があるかどうかはわかりません。でも満足することが多く、お風呂は裏切らないです。
勤務中などの余裕がないときはお茶でもお湯でも湯気の出るものを触りながら眺めます。疲労はえてして「なんでこんなにがんばってるのに」と悲観的になるので、切り替えが必要で、手先の温かさや湯気に意識を集中させます。もちろん疲労が完全に回復することはありませんが、温かいものは悲観的思考は消えることが多いです。
お湯やお茶すら手に入らないときはえっちなことをちょっとだけ考えます。過去のことでも予定でもどっちでもいいです。これまた疲労は回復しませんがたいてい疲労時の悲観はやりすごせます。ただしそのことはどんなに親しくても他人には云わないほうが良いです。つい口が滑って「へえ、どんなこと想像してたの」と楽しそうに云われ言葉に詰まったことがないわけではなかったり。