井伏鱒二展見学

これから「ばーかばーか」といわれそうな話をします。

井伏鱒二の『山椒魚』を読んだのは中学の教科書であったかそれともなにかのテストの模試であったかかなり記憶があいまいで、でも初見時に「山椒魚の気持ちなんて人間にどうしてわかるのかよ?」という素朴な疑問を抱いています。もちろん山椒魚の気持ちを書きなさいという問題が出たわけでは無く、その後も文学部に行ったわけでもなければ文学の話をする人が苦手で意図的に遠ざかってるので、初見時のその問題にいまのところ直面してはいません。ただ「動くべき時に動かない場合の末路は悲しみに満たされる」というアバウトな勝手な要約だけが強烈な印象としてその後もずっと残ってて「動くときに動かないと山椒魚のようになるのかも」という思考になり、その延長線上で社会人になってからも前任者や前前任者が先送りしたものを説明を聞きながら「このままゆくと山椒魚だな」と考えて処理し(その結果前任者等に間接的に無能の烙印をおしてしまったので恨まれ)たりしています。そんなふうにおのれの行動にある程度の影響を与えたのが閉ざされた山椒魚です…じゃねえ、井伏さんの『山椒魚』です。どうでもよい「ばーかばーか」といわれそうな能書きはこれくらいにして。

横浜の近代文学館で現在井伏鱒二展をやっています。文学というものがちっともわかっていないものの、まったく影響を受けていないわけでは無い(はずな)ので日曜に見学してきました。

展示はどちらかというと太宰治佐藤春夫といった他の文学者との交流にある程度の重きを置いています。たとえば太宰治との関係では『富嶽百景』では井伏さんが三ツ峠で放屁したと書かれてて「いやおれはそんなことしていない」という反論とそれに対する「いや二回した」という太宰の再反論をも展示で取り上げ太宰と井伏さんの密接さが理解できる一方で、三鷹での入水時の女性については井伏さんはまったく知らずなにもかも打ち明けていたわけでは無い微妙さもあったようで。他にも太宰治の入院の報告などを佐藤春夫に報告した手紙などがあったのですが、個人的には作家の人間関係を知りたいわけじゃなかったのでそれらの展示に若干の肩透かし感がないわけではなかったり。

もちろん興味深い展示もありました。作品にまつわる手紙なども展示されていて関係者にえらい細かいことまで尋ねているのです。恥ずかしながら何の作品に反映されたのかは忘れてしまったのですが、たとえば宇治から江戸までの御茶壺道中について調べていてその茶壺が古備前かどうかということを司馬遼太郎に尋ねていて、それに関しての手紙の展示がありました。また『黒い雨』のところでは(記憶に間違いなければ爆心地に近い)基町に居た人がどうなったのかを尋ねる手紙が展示されてて、それらはおそらく作品にはすべては反映されていないところもあるはずですが動かしにくい無数の事実を集めた上で作品を編んでいたと想像でき、それらを眺めていると『黒い雨』ではピカドンの直後に可部線の駅で主人公が止めたにもかかわらず商魂に徹しますといって売掛を回収しに行く人が出てくるのですが、もしかしたらそれらの描写は井伏さんの創作ではなく実際にあったことだったのかもしれない感が増しています。

ところで井伏さんの作品をすべて読んだわけでは無いので変なことは云えないものの匿名なので勉強不足でもあえて特徴をあげると、どちからというと市井の人がどってことない瞬間に発するような・根っこには仮に不信があっても決して不信とは云わないような、しかし必ず言いたいことが伝わってくる、抑えめの文体だと思っています。あの文体はどこやって会得したのだろう?何を読んだらああなるのか?というのがずっと気になってたのですが、さすがにわかりませんでした。ただ会場内の井伏さんの漢詩の独創的な訳文を眺めたあとだと、感情をダイレクトに表に出すのを憚り抑えてごまかしつつも腑に落ちる言葉を探しているとああなるのかなあ、といういまいち説得力に欠く勝手な想像をしています。

展示は作品を知っている部分だけでもそこそこ時間泥棒になります。ただすべての作品について展示されてるわけではなく、たとえば個人的に好きな『白毛』という短文の作品の資料などは見当たりませんでした。なお釣り関係では愛用の京竿と福山時代の竿が展示されていて、『白毛』では釣り糸を忘れた不良に35本ほど髪を抜かれるのですが、もしかしてこれらの竿を持ってそういう場面に出くわしたのだろうか?とか余計な想像もしています…って、書かなくてもいいことを書いてる気が。

会期は11月26日まで。会場内にはなぜかイラストもあって、井伏鱒二(真ん中)太宰治(右)佐藤春夫(左)なんすけど、最近なんでもイケメン化してしまうようで。

なお近代文学館は丘の上にあり、どちらかというと桜木町駅から神奈中バス横浜市バスが便利です。