隔絶・孤立する坊っちゃん

坊ちゃんのなかに天ぷらそばに関するくだりがあります。東京から松山へ赴任し、松山でそば屋を見つけて天ぷらそば4杯をたべるのですが、翌日何の気もなく学校へ行くと黒板に大きな字で
「天麩羅先生」
とかいてあり「顔を見てみんなわあと笑った」とあります。天麩羅を食っちゃ可笑しいかと訊くと「しかし四杯は過ぎるぞな、もし」と返されつつもそのまま授業をこなし、別の授業へ赴くとこんどは
「一つ天麩羅四杯なり。但し笑うべからず」
とかかれます。「最初は別に腹も立たなかったが今度は癪に障った」冗談も度を過ごせばいたずらで、焼餅の黒焦のようなもので誰も賞め手はないと、他人を監視しあげつらう田舎への罵倒がはじまるのですが、松山の生徒がやり過ぎだと感じるか、坊ちゃんが大人げないと感じるか、それは人それぞれです。坊ちゃんの癪にさわったこの話が面白いエピソードに読めてしまうのですが、個人的にはうわああああとなってしまうところであったりします。なんのことはない、特段意識してないことでも他人に監視されててその行動をあげつらわれることと、(坊ちゃん全体に流れることですが)どこかに正解があるんだけどそれがわからないからとりあえず正しいと思った個を貫き通すしかないのだけどでもそれはやはり変で他人から隔絶・孤立してしまう、腹を立ててしまう、というのは身に覚えがあるからです。ユーモアっぽいものの陰にかくれて気が付きませんけどけっこう危うい精神状態であったのではないか、と思うのですが、って私が文学を語ろうとすると「おもしろかったー(はあと」てきなことですましゃ良いのに文章がたまに病的というか誇大妄想的・主人公が変なやつになってきたりします。こういうやつは「オマエはあほか」といわれるのがオチなので他人と感想を共有しにくく読書感想文を書くには向きません。でもこうやって書いてるのはこれが匿名であるからです。秋の夜長は読書感想文をブログに書こう、というのが今週のはてなのお題でなんだか風流?で良いな・乗っかろうかな、と思ったもののどんどん不健康な方向へ進んでしまい、なんで不健康な方向へすすむんんだろうと考えて、やはりのどにささった魚の骨が夏目漱石とか井伏鱒二とか宮沢賢治であったりします。でもって漱石でとりあえずひっかかるところを書いてみたんすが。
つか、読書感想文ってなんなんでしょう。やはり他人と感想を共有するために書くのでしょうか。だったらそういうふうにかけばいいのですが、書こうとしていつのまにか不健康な自分のことを語ってるので、私にとって読書感想文はやはりいまだ困難です。どっかで曲がる角を間違えたんだろうな、とは想像つくのですけども。