天ぷらそば問題

坊ちゃんの中に天ぷらそば4杯食べて目撃されるエピソードがあります。ずっとひっかかってたところで、たぶん前にも書いてるはずです。東京はそば文化圏で坊ちゃんが異郷の地で故郷を思い起こさせる食べ物をたらふく喰う気持ちはわからないでもないのですが、目撃された結果、教えている生徒にからかわれます。監視の目と異質なものへの嘲笑というかたちを変えた糾弾が描かれてるのですが、なぜ松山の生徒がそんなことをするのかが根っこのところでは私は理解できませんでした。それがずっと引っかかってた理由のひとつでもありました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

つい最近、獺祭という酒蔵の人の書いた本をちらっと読む機会があって、その中で酒造好適米は一般的な米と異なる時期に田植えをする場合があるものの、水利の問題があるので地域の中で稲作をするのなら同じ田植えの時期の品種がよく、他の水田の品種と異なる酒造好適米を育てることの困難さにいくらか触れられていました。水田のない畑作地帯に育った人間からすると目からうろこで、秋田で「あきたこまち」が・千葉で「ふさおとめ」が多くつくられる理由が氷解してます。

話はさらに横に素っ飛びます。

農業というのはもしかして地域の気性を作るのではないかと疑っているのですが、これは発想が突飛かもしれません。でも思い出したのが天ぷらそば4杯で、坊ちゃんの勤めた学校の生徒のある程度が松山平野という他人と同じ品種を植えることが好ましい稲作地帯で、その結果他人と同じ行動をすることが好ましいとされる社会で育ったのなら、同質が是な社会では異質は非で、異質なものに対しての監視と嘲笑、糾弾ということを自然に行えることはなんだかとても腑に落ちます。引っかかっていたことのひとつが理解できています。

もっとも腑に落ちたところで坊ちゃんの問題は解決されるわけではありません。他人と同じ行動をすることが好ましいとされる社会に育たなかった(稲作のない東京育ちの)坊ちゃんは嘲笑などにとてもイラつくわけですが、そのイラつきは解決を産むわけではありません。でもイラつかざるを得ない。多数派と少数派の縮図でもありつつ容易に多数派は少数を軽んじることの例でもあると思ってるのですけど、それは今でも変わらないような気が。

イネの話をしようとしていたはずなのに、ズレちまってます。私が坊ちゃんを語るといくらか誇大妄想的になっちまいがちなのでここらへんで。