この時期になると感想文についての検索が多くなります。感想ほど難しいものはありません。感想って面白いとかつまんないとか、いろいろあるんすけど、厄介なのはそれを書くだけではあんまり他人を説得できないからです。どこがどういうふうに面白いか、というのはもやもやしてなかなか言葉にしにくいし、なかなか焦点を絞りきれないし、もしかしたらほかの人はそう考えないかもしれないからっす。
でも「登場人物に腹立った」でもいいんだけどでもなんでそう思ったかがかければ感想文になるんじゃないかなと。
あとは他人と共有できるかどうかの問題だけにうつります。しかし問題はそこで、ふつうそんなことは考えないでしょとか、必ずしも同意してくれる人がいてくれるかどうかはわからないからっす。私は芥川の「芋粥」の解釈で国語科の先生と見解が異なり、別の先生が助け舟を出してくれるまで先生の解釈に抵抗したことがあります。視力をはかるCマークの図と一緒で、そこに書いてあることがどう見えるかは個体によって差があるんだけど、その差をすっとばして、同じように見えない人を排斥することが読書感想文の世界にもあります。空港でなんにも考えずにアンパンマンを視聴して江戸っ子気質・判官びいきの血が騒ぎそのままにし、つい「バイキンマンの行為がアンパンマン個人の価値観によって武力で排除されるとき、そこにみえるのは同一でない者・異質者に対する排除じゃないかな」などアンパンマンの世界について書こうものなら「おまえはあほか」といわれるかたぶんバツでしょう。で、そこで封印して、排斥されない正解のようなものというのが生きてく術としてどうしても出てきます。それを否定しません。で、どっかに正解があるんだろうと思ってて私には見えないのですけど、私はどちらかというと排斥されないような他人が持ってるような正解にはなかなかたどり着けません。
でもそんなような正解が必要かというとどうなんだろ、とはおもうのですけども。なんのことはない、どうなんだろなんていえるのは、文学なんて気にしてらんないで生きてられるし、文学とは関係ないところで生きてるからです。背伸びをして文学を誰かと語ろうとも考えていないし、最近は背伸びしないでいまじゃなきゃ語れんことを残しておこうという意識が強いっす。読書感想文の検索できたとしてもここを読んでもなんのプラスにもならないかもしれないっす。検索できて、どういうやつがこのダイアリを書いてるのか気になってあちこち読んでる方がちらほらいるみたいなのでかいておくのですけども。


でもって前置き・能書きはともかく、読書感想文でなにを書いていいかわからない、ってのは個人的にはよくわかる反応です。
でも願わくば、検索するのではなく、少しの勇気をもって感想を書いてほしかったり。よくわからないことに関して文章を書くときに、自分が理解した以上のことは書けないから、書くことは自分の内面に向き合う過程でもあって、もしかしたらそのほうが、書き手に近づくんじゃないか、と思うのですが。