「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」という仮説

お茶の話を引っ張りながら今日も今日とてくだらない話を書きます。

夏目漱石の「坊ちゃん」に

実はゆうべ茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗に飲む奴だ。主人が引き下がってから、明日の下読をしてすぐ寝てしまった。

と書いてあるくだりがあります。

松山の赴任先の学校から下宿へ帰ってきてそこでの話で、骨董の話を持ち出されながら飲むお茶の描写です。おのれの舌のテキトーさを暴露するような話なのですが、いちばん最初に読んだ頃は苦いお茶はともかく「濃いお茶」という意味をちゃんとは分かっていませんでした。大人になって鹿児島へ行った際にかの地のお茶を飲んでコクを感じて衝撃を受けて以降、松山のある四国や鹿児島のある九州などの西日本と坊ちゃんが生まれ育った(ついでに書くと私もそうなのですが)煎茶が主流の東京とでは好まれるお茶に差があるのではないか?とうっすら思ってます。ただその疑問を大人になって口にすると「私はもの知らずです」と受け取られそうな気がしてならず、誰にも云ったことがありません。しかし匿名だからこんなふうに書けます。ビバ!インターネッツ!!…って、書きたかったのはそんな話ではなくて。

下宿先の主人は坊ちゃんが自分のために買ったお茶を遠慮なく無暗に飲んでてそれを坊ちゃん自身はちょっと苦々しく思っています。それどころかこの主人はお茶を飲みながら坊ちゃんが要らぬというものを次々と買わせようとしてて、読んでてもあまり良い印象を持ちません。お茶を飲みながらも関心がないものには全く関心がない坊ちゃんの姿も描かれています。数年前に読み直した時に考えてしまったくだらぬことがひとつだけあってそれは「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」と見抜いてこれら描写してるのではあるまいか、と。

だとすると、お茶を飲んでるときの無防備な素のおのれのことが気になりました。さすがに他人のお茶を遠慮なく飲むことこそしませんが、これが「どうぞ」といわれて出されたお茶をたいてい礼を述べて最後に飲み干して「ごちそうさまでした」と改めて礼を述べてきたことが多いのですが、何も考えずに100%飲み干してきたのでどういう印象を持たれたろう?ってなことを考えちまっています。こういうの、正解がありそうでなさそうですし、過去のことはいまさらどうしようもないのですが。

今年になって読んだマンガに「やがて君になる」(仲谷鳰・電撃コミックNEXT)という作品があるのですが、その中でも「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」ことを前提にした描写がありました(4話「まだ大気圏」)。七海先輩が自販機で紅茶を買い、つられて小糸さんも自販機で買おうとするのですが小銭が無く諦めます。そこで七海先輩が「飲む?」と小糸さんに渡し、小糸さんはありがとうございますと礼を述べて躊躇なく口をつけて一口だけ飲み、改めて礼を述べて手渡すと七海先輩は飲み口を眺めたあと口をつけます。素直な小糸さんに後輩への好意を隠し切れない七海先輩の対比がほんと見事だったのですが…って、詳細はコミックスをお読みいただくとして。

「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」というのはあくまでも私の仮説で、フィクションでしか見出せませんし、そのフィクションも決して実例は多くはないと思われます。でも、なんだろ、お茶を飲むときって案外無防備になっていませんかね。そんなことないかな。