盛る行為とその反応について

これを書いているのはギャル系JKではなくて残念ながら働くおじさんです。その前は実質あほうがくぶの法学部生で民訴の授業では建前としての真実発見のための協力義務等ほかを叩きこまれています。法曹にはすすまなかったのですがその後遺症として、なにか問題が起きたときに無視するにせよ改善するにせよ「事実がどうであったのか」というのを気にするようになっています。

父の葬儀のときには当然のこととして叔父や叔母が参列しています。葬儀あるあるとして昔話になるのですが、そのときに叔母のひとりが空襲を記憶していて、飛んでいる爆撃機を見たと云いだしました。しかしながらその叔母の誕生から1年後には終戦となるのでふつう1歳の記憶があるのだろうか?という素朴な疑問が出てきて、仮面の告白でも産湯の記憶があるって書いてることを踏まえ、1歳の頃の記憶って残ってるものなのですか?と口にしてしまっています。叔母はイヤな顔をこちらに向けて来たのですが(その顔は20年以上経過しても忘れられないのですがそれはともかく)問いには答えて貰っていません。はてな今週のお題「盛り」を引っ張ると真実がどうであったのかはわかりませんがおそらく叔母は話を盛っていたのではあるまいか?といまとなっては想像します。

はてなのダイアリの編集画面にはここしばらく「話は盛って書いていいですよ」と出てきます。私は上記のような教育や経験を経て盛ることをまずしませんしできません。なんだか書いてておのれが面白みのないダメ人間であることを地味に証明しちまってるような気がするのですがそれは横に置いておくとして、盛った話を盛ったと判らず聞かされたほうはどうするのが妥当な解だったのか。「わーすごい」とか性格上云えないこともあってやはりわからなかったり。

いつものようにくだらないことを書きます。

前にweb上の知り合いから男性肌着について教えて貰ったことがあるのですがそのとき知ったのがどこがとはかけぬものの大きく見せる盛る製品です。でもいざ実戦(…実戦?)という際にはそれを脱ぎすてるわけでつまり真実は明らかになってしまうわけで、くわえて(よい子のみんなはわからなくていいことなのですが)馬並ではないものの人並ではあると自覚していたので必要性もないと考えて買っていません。いつだったかその製品の存在と買わなかった経緯を口にしたら「なんで脱ぐ前提なんだよ」と呆れられたのですがそれはともかく、幸か不幸かその場面に直面したことはありませんしこの先まず有り得ないですが、仮に盛る肌着を脱いで真実が明かになったとき、真実を知らなかったほうはどのようにリアクションすればいいのかな、と。触りながら、わーかわいい、とかだと怒らせてしまう気が。冗談抜きで妥当な解がわかりません。

明言のないまま盛られてしまうとなにも知らないまま盛った行為に直面した側がどうすればよいのかわからないことが多く・負担が多く、その点でも盛る行為って罪作りのような気が。そう思っちまう時点でどう転がしてもやはり盛れそうにないのでこのへんで。