考える→疲れる

選択ってたまに我慢とセットです。AとBを比較するとき、Aを西友の肌着、Bを良いお値段のするtootの肌着に変えますけど、人の行動って「高いけどかっこいいので値段の高さが許容できるから選択する」とかがありえるんじゃないか、とおもってます。でも選択しようとしてるときに高いっていう我慢しなきゃいけない点は消えない。

これがパンツならいいんすが、選択したいものに危険要素とか我慢できそうにない要素が高いとき、あるチョイスがほんとにそれが納得できるかどうか考えたいとき、私のような低速度回転脳は、たぶんフル回転してます。その考えてる時間というのは、傍から見てるとなんにもしてないのに等しいのですが、結論を出そうとしてるときはけっこう疲れます。ひょっとして脳で考えてるのではなくて、身体のどこかで考えてるのかもしれません。実際、はらわたが煮えくり返る、なんてことばがあるくらいですから、脳内で考えてそうなことは脳内で考えてるとは限らないかもなので。で、ここらへん頭のいい人は疲れないのかなあ、などと思うのですが、頭のよさそうな人に訊いてみたい誘惑があるものの、自分の頭の軽さをさらけ出すことの証明になっちまいかねず、質問できずに、いまに到ります。