気軽と気重のあいだ

誰かの理想のようなものを提示されてそれは簡単ではないのにそうでないことを指摘されるってのは、それはどこかこちらに非があると指摘されてるようなもので気が重くなっちまうことが多いのですが、でも簡単にできないことはあきらかなとき、これはうわさに聞く嫁姑問題みたいなものかもしれなくて「せやったら、どないせえっちゅうねん」と内心毒づいたりするのですが、具体的にどうするか、というのを考えて神経すり減らしたあとに、もしかして「起きうる摩擦とかを考えずに理想だけ考えて、現実にどうするかってのは考えなくていいことを前提に理想を語る」というのは人によっては気軽なのことなのかも、ということを思ったり。