本郷菊坂

東海の小島の磯の白波に我泣きぬれて蟹とたわむる

ってのが、石川啄木の歌にあります。あまりにも有名なのですが、詠まれたのは実は本郷の坂の上です。このうた不思議でして、そもそも本郷には磯はありませんし、泣きぬれて蟹とたわむる、というのは涙を流しながら蟹と遊ぶ、ってことなんでしょうけど、視界がぼやけてどうやって蟹と戯れるのさ、という疑問がないではない、わかるようでわかんない情景です。もちろん書いてある文字・言葉を追えば東海→小島→磯→白波→我→蟹と視線がダイナミックに移動してるので、そんなことどうでもよくなってくるのですが、私にとってこの歌は謎のままです。なにかのたとえなんだろな、ってのは想像つきます。なんで蟹と戯れながら泣いてるのか、ってのが最初不思議だったんすけど、そこがたぶん重要かもで、釧路からでてきて本郷にいたころに啄木は金田一京助の助けを借りて文筆で身を建てようとして(ご存知のように歌人としては名を残しても小説家としては)巧くいかずにいて、たぶん磯にぶつかる白波が自らの姿で、泣けてくるんだけど金田一さんが蟹かなんかのたとえで、蟹とたわむれながら生きてることを詠んでるのかもなんすが(もしくは観潮楼に出入りしてたので自分よりすごい文学者を見て砕け散る白波に自らをたとえたのかななどとも考えたんすが)こんなゲスな勘繰りをしなければ短歌を鑑賞・理解できない我が身を呪いたくなってきます。文学に興味を持ちながら、文学部へいかなくてよかったのかもなんすけど。そもそも詩とか短歌とかが目に見えるものを詠めばいいのか、ことば遊びできれいなものを並べれば成立するのか、体感したものでなくてもいいのか、よくわかんないので、あいまいなまんまいまに到ります。

啄木が9か月ほど居た宿です。当時とは違う建物になってますが、旅館の前に「東海の」の歌碑があります。前にここを通過したとき、なんでこんなところに、なんて思っちまったんすけども。

本郷の菊坂というところ。微妙に坂になってます。左の蔵と木造家屋は樋口一葉と縁が深かった(らしい)質屋さんです。

でもって使用していた井戸のあと。こんなもん見てなにになる、っていえばその通りなんすが。本郷は、文学者に住みやすい場所だったのかもなんすけどほかにも

菊坂のそばの坂の下に、宮沢賢治の居宅あとなんてのもあります。ここから赤門前の謄写版屋さんで謄写版製作の仕事をして働き、文字通り文字というか言葉と格闘する日々を送ります。本郷のあと、岩手に戻って「注文の多い料理店」を書きますが、(前にも書いたかもなんすけど)一見どってないことの文字・言葉の羅列の後ろにとんでもない意味と結末が控えてるあの話は、文字を注意深く読まねばならないとああなるよ・考えることをしないでのんべんだらりと言葉を追ってるとああなるよ・書かれてることをそのまま鵜呑みにすると書いた人間に料理されてるだけの存在なんだよ、という警告にも思えてくるんすが、それは来る日も来る日も文字を目にして・言葉と格闘してたらそう警告したくなったんだろうな、と思うのですが、考えすぎかもしれません。つか、人間の思考において、ことばにしてるのはたぶん限られてて、そのうちの一部しか出てない言葉や文字にとらわれるととんでもない方向に行きかねない・とんでもないことになるのではないか・身動きがとりにくくなるのではないかとうすうす感じてて、脳内で勝手に昔読んだ「注文の多い料理店」と結びついて、謎発展してるだけかもなんすが。


本郷あたりをとりあげると、たまになんだかこう、へんな方向へ話が行っちまうような(いつもか)。変な魔力がある場所です。

寄り道ついでっていったらなんですが、地下鉄に戻る前に三四郎池へ寄り道

いま文京区はイチョウがこんな色づき具合っす

考えることはみんな同じで写メとる人や、カメラを向ける人がけっこういました。