弥生お化け階段


毎度おなじみ三四郎池のほとりです。
ここらへんに来た時には同じルートをたどってもつまらないので、時間があるときは寄り道してます。てめえのブログは寄り道ばかりしてるじゃねえか、って怒られそうっすけど今日もそのパターンです。すんません。

本郷の隣が弥生という地域です。このあたりで発見された土器が特徴的だったので、ついた名前が弥生土器です(この碑よりちょっと東側の東大工学部の9号館のあたりがその遺跡にあたります)。

でもって本郷とか弥生のあたりは掘れば何か出てきます。工学部の敷地を掘り返してるんすが、↑その写真。丸いのは昭和の初めに建てた建物の基礎部分です。さらに江戸時代のゴミがでてきました。三四郎池のほとりは前田家の御殿だったんすが、このあたりは前田家の屋敷の端っこで、掘り返してるところの一部はゴミ捨て場だったらしくて酒徳利がでてきてます。あたりまえのことなのかもしれないっすが、時代を超えて隅にゴミを追いやるのかもっすね。


すぐそばにあるのが

通称、お化け階段。最近改修されちまったのですが、前はもっと狭い小汚い階段でした。なんでお化け階段か、というと降りてくるときは39段なのに、登るときは40段だったからです。

きれいになるのはたぶんいいことなんすけど、いまいちなんかこう、そそられなくなっちまいました。きれいってのはなにかを殺すよなあ、と思うのですが、そのなにかが判りません。それでもなお、すべてが見通せない点で、個人的にはまだポイント高いです。なににそそられてるのかわかんないんすけど。たぶん、見えそうで見えない、ってのに弱いのかも。どうなってるんだろう、という探究したくなる時のわくわく感が好きなのかもしれません。
そういう妙な子供っぽさってのがこの歳になっても行動に出てきます。大人という自覚もそれほどあるか、っていうと、スーツを脱いじまうとあんまりなくて、ただ他人に背中を見られている、という感覚があるのと、大人っぽくふるまわないとなめられる、というのがあるから、こういうのが大人だろう、という想像図に自分を合わせてるところがあるに過ぎなかったりします。たがが緩むと、むだに遠回りしたりとかしちまいます。教養があれば教養の海でおぼれることができるんだけど、それができないから退行化しちまうわけで。
自分の中の子供っぽさってのとどうやって折り合いつけるか、ってのはなんとなくあるんすが。

異人坂。下が根津という街になります。このあたりお雇い外国人の居住区のそばだったので、そんな名前になりました。この坂もすべてを見通せません。個人的に坂に惹かれるのは、私が坂があまりない関東平野の雑木林の多い真ん中に育ったせいもあるかもしれません。

坂があるのはやはりここらへんも本郷台地だからです。で、その本郷台地を巧くごまかしてるのが、根津神社のつつじです。もうちょっとしたら見ごろかも。

ブラタモリのなかでタモリさんが川が谷を作る旨の発言がありましたが、根津のあたりは谷になってます。(今は暗渠の)藍染川ってのが谷を作ってて、写真の言問通善光寺坂は自動車を通すためにかすかな坂なのでわかりにくいかもですが奥が本郷台地で(弥生坂という)、窪地になってて、手前の勾配(善光寺坂)が上野の山です。上野の山に登ってるかすかな坂の上からの写真です。あ、今回、上野まで歩きました。

私が小さなころからいる、上野の森のクジラ。やはりでかいっす。このクジラをみてからは世の中には想像を超えるものがある、っていうことだけはなんとなく理解できました。そういう意味ではすごく思い入れのあるクジラです。でもって馬鹿みたいなんすけど、このクジラを見に行こうと思ったので、寄り道したのでした。