弥生坂


まいどおなじみ三四郎池です。

この池の水源がこれですっていいたいところですが、いまは井戸水(らしい)です。前はちゃんと湧水で本郷台地のキワっすから、水が出てもおかしくはありません。弥生時代から人が住むには適した場所でしょう。で、妙なことが気になるんすけど、その水がどこに排水されるか、っていうのが気になって機会があったときに東大の方に尋ねたらそんなに遠くない上野不忍池に流してた・流れてたようです。

本郷の弥生門をでると不忍池に抜ける暗闇坂になります。ほんとは失われた川を求めて排水溝のあとを探したいところですが、さすがにわかりませんでした。奥のほうをどんどんいけば不忍池に到達します。雨の日は当然、低いほうに流れます。道路になったのは明治時代です。石垣が見えますが明治時代に作ったもの。崖の下は江戸時代は水戸藩の敷地で明治時代は東京府の所有となり、西南戦争のときに平民上がりの兵隊をここで訓練して鹿児島まで派遣し、そのあと警視庁の射的場の施設になってて、暗闇坂という名前の理由は射的用の訓練施設ですから塀を10m強の高さにしてあって、台地とその塀のあいだがうす暗くなっちまったので「暗闇坂」だったりします。もちろん今はそんなに薄暗くはありません。

根津に抜ける弥生坂。向こう側が土器のみつかった弥生の遺跡のある丘です。

江戸時代にこの道はなくて、水戸徳川家の屋敷のあとを明治時代に切り開いた道です。もともとは石段で、それを無理やり車道にしてますから、けっこう急です。でもって坂の先は根津です。ブラタモリの中で根津の川があふれる写真が出てきましたが、雨の日は坂の下にどんどん水が流れてゆくわけっすから、なるほどな、と理解できます。水は高きより低きへ流れる、ってのは当たり前のことなんすが、坂の上に立つとやはり理屈どうりなんだなー、と思い知らされます。


水のように自然の流れに身を任せ、低きに流れるのもいいんすけど、志はできれば高く持っていたいとあがきたくなることがあったりしますが、それをずっと維持するのは坂を上るのと一緒で、あんがい大変だよなあ、なんて考えちまうのですが。