汐見坂

疲れてても暑くて目が覚めちまい、シャワーを浴びて午前から行動してました。先週に引き続き、営団の一日乗車券を買っての移動です。


で、前に漱石山房へ行ったので、どうせならと目指したのが漱石の猫の家。行ってどうなるってわけでもないのですが、なんとなく見に行きたくなったというか。
で、猫の家ってのはあとの人が勝手に名づけた名前で、ロンドンから帰国した漱石が教壇に立ちながら執筆活動を開始したのが千駄木のそばの借家です。もちろん現存せず近隣の大学の施設になってます。

たぶん誰もが知ってる「吾輩は猫である」はここで書かれててます。地図を見てなるほどなあ、と思ったのはほんとにすぐそばに郁文館という中学があって、猫の話にでてくる楽運館の学生たちのような生徒がいたのかなあ、と。第八章には楽運館(間違えました正確には落運館です)落雲館の学生との戦争を通して、からかうことについて語ってて、いまでも説得力を持つと(私は)思える部分があるのですが、若き日の漱石はひょっとしてほんとに落雲館じゃねえ郁文館の学生にからかわれてたのかな、なんてことをぼんやり考えてました。からかうということに関して腹に据えかねてたり、悩まされてずっと頭の中でこねくりまわしてたのかもしれないっす。とすると、なんだかうっすら漱石の陰鬱なところが見えてくるんすけども、それは考えすぎかも。

怒りや嘆き未満のものを笑いに転化しようとしてたかもしれない漱石のそばに居て、人間の行動を鋭く分析した猫のモデルがこんな顔だったかどうかはわかりません。ただあんまり美猫ではなかったらしいんすけど(美猫ってなんやねんってのはさておき)。

すぐそばにある汐見坂(医科大のそばなので別名解剖坂)

昔は海がみえたのかも。ビルは根津や千駄木のあたりです。


海が見えたのかも、と書いたのはわけがあって

すぐそばに、いまは工事中なんすが森鴎外の住んだ家があったのです。で、そこから海が見えたらしいのでそこは観潮楼と称していました。

もちろんいまの眺めはこんな感じなんすが。
そのそばにあるのが三四郎の中で刀の切っ先のような、と描かれてる

団子坂です。江戸川乱歩のD坂でもあります。さすがに白梅軒はなかったんすけども。


団子坂下からちょっと歩いて谷中銀座

ゆうやけだんだんとよばれる階段があって、なぜか猫の集会所として名をはせてるのですが、暑いこともあって逢えずじまいでした。どっかで涼んでるのかも。

ただし怪人猫面相に遭遇。ちょっと微妙に気になります。
で、そんなに遠くないのは上野では

ハスが見ごろです。