歳をとるこということもしくは羊羹の話

吾輩は猫であるのなかで苦沙弥先生が甘いものを相当食べてることをうかがわせる会話があります。

「元来ジャムは幾缶舐めたのかい」「今月は八つ入りましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」
吾輩は猫である

書かれてるのは苦沙弥先生のことであって≒漱石ではないはずで、しかしどこまでほんとかわかりません。私はアヲハタマーマレード250グラム一瓶をおそらく2週から3週くらいで消費します(パンとパンケーキに使う)。当時のジャムが一缶何グラム入っていたのか謎ですが、しかし一家庭で8缶はちょっと多いような気が。猫にはちらちらっと胃病についての記述があります。でもって草枕の中には

菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好きだ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた練り上げ方は、玉と蝋石 (ろうせき) の雑種のようで、甚だ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生まれた様につやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる
草枕

ってのがあります。余≒漱石ではないと思いつつ、猫の記述とこの草枕の執拗なまでの羊羹への賛辞を考えると漱石という人はたぶん甘いものに目がなかったと考えられます。しかし十二指腸潰瘍をやっちまったときに知ったことなのですが胃腸の潰瘍があるときに食べないほうが良い食品の中に実は羊羹がありました(京都へ行く機会があっても阿闍梨餅でだしてる蜜漬という羊羹が好きなんすが食べれないことが悲しかった)。餡の菓子もダメ。夏目漱石胃潰瘍と思われる胃の病気を患っていたことを考えるとおそらく止められていたはずで・控えていたはずで、それを踏まえて草枕の笑えてくるまでのこの羊羹の賛辞の記述を改めて考えると絶望的な精神状況でこれを書いていたのではないかと思えるのです。
ただ道草の装丁をした画家が京都の出でその人に誘われて漱石は晩年に京都に行くのですが(そのときに近年ドラマにもなった芸妓さんと逢うのですが)、滞在中に胃の状態が悪化して寝込んで動けなくなります。京都は和菓子屋の多いところですからとらやの羊羹なり阿闍梨餅なりを(我慢しきれずにか断り切れずにかこっそりにか)食べたのでは?と勝手な推測をしています。京都って罪深い街だよな、などと思うのですがってくだらない話はともかく。
いまはなんとかなってますが十二指腸潰瘍をやっちまってから「笑えてくる状況は悲劇と紙一重なんじゃないか」とかなんとなくモノの見方が変化しました。漱石の作品が変化したわけではないので私が変化してます。経験によって人は変化するってあたりまえのことかもしれないのですが、歳をとるということに関してつくづく「こういうことなのか」と腑に落ちることがあったり。