弥生町遺跡


そのあと本郷にいってたんすが、隠すほどのことか、とおもったのですがあんまり自由に出入りできるところかどうかわからないので畳んどきます。

弥生式土器がでたのは東大の浅野キャンパスでして、その一角には「ゆかりの碑」があります。

で、ブラタモリの中でも紹介されてましたがこのやぶの中がそれにあたります。弥生時代に作られた土器が複数でてるので、ここに環濠集落があった、っていうのはガチなんすが、でもですねー

現況はすとーんと下に落ちてる崖なんすよ。専門外ですから「こんなことにそんなのがあったんかなー」なんて思ってたのです。で、好奇心丸出しで東大の研究者の方に訊いたら、

この写真の墓のある前後あたりまで台地は続いてたそうなのです。そうなのです、ってのはいつのことだかわかんないけど(江戸期か明治期に)造成しちまって以前と地形がことなるからで、古地図などと照らしあわせてるのだとか。でもなんだか腑に落ちたというか、ひとつ疑問が氷解して嬉しかったり。


歴史に【if】は禁物ですが、もし残ってたらもうちょっと弥生時代のことがわかってたのかな、なんてことを考えてました。でもって、考古学は専門外で判らないことが多いことだらけなんすが、見えない分、なにかどこか惹かれます。