本郷曙坂

本郷です。

用が終わった後にここでお茶をのんでたのですが、ハトが危機感がないのか、ハトになめられてるのかわかりませんが、ぜんぜん逃げようともしませんでした。むしろ近寄ってくるくらいで、なもんでカメラをだしてみてもぜんぜん動じません。もしかしたら同類と思われてたのかもしれませんが。

おそかったサクラもそろそろ終わりかもっす。でもって今年ほどサクラをまじまじと見たとしはなかったかもしれません。あたりまえのように電車が来るとか、あたりまえのようにパンがあるとか、ここのところそのあたりまえが揺らいで、あたりまえを再確認したくなったというか、なんだろ、ちゃんと咲いてくれたんだ、みたいな。


本郷っていっても広いのですが、よそにないもので本郷にあるのが、下宿屋さんです。

本郷館という下宿屋さんなんすが、1905年竣工の築106年の木造建築です。70くらい部屋がありまして現在でも人が住んでます。下宿屋って管理人さんがいてまかない付の部屋貸っていえばいいでしょうか。本郷館で今でも食事を出してるのかはちょっとわかりません。

老朽化してるので建て替えの話もあったのですが宙に浮いてます。取り壊したほうがよさそうな気もするんすが、いまとなっては貴重な建物なのでなんだかもったいないかも。

新坂です。この上に釧路から出てきた石川啄木金田一京介の助けを借りて住んでました。啄木はここで小説を書いて売り込むのですがうまくいきません。有名な【東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる】なんて碑があるんすが、ここで詠んだとしたらすごい想像力なんすけど、この歌で「泣く」というのは悔しいからかもっすね。泣きぬれてるのは啄木なのかもしれません。

いまはどってことない商店街の菊坂です。でもって樋口一葉が資金繰りのために通った質店とかがあります。菊坂は本郷では菊が栽培されてた、ということなんすけど、想像できるようなできないような。この界隈、宮沢賢治がいたり竹久夢二がいたり文人が多いのですが、坂道ってのはそういう文学者を惹きつけるなにかがあるんすかね。キワってのは、なにか人を刺激するのでしょうか。単なる偶然かもしれませんが。

菊坂からそんなに離れていませんが福山坂というのがあります。ストレートに登れないので、けっこう急なS字カーブです。坂の真ん中で撮ったのですが、つまんない写真になっちまいました。で、坂の上には漱石が住んでいました。

曙坂です。本郷台地の本郷における高低差が判りやすいかな、と思って撮ってます。じゃんけんで、ち・よ・こ・れ・い・とといいながら上がりたくなるような坂です。どうでもいいすが、こういう坂、好きです。しかしこうしてあとで冷静になって書いてるとと坂上がったり下がったり、意味のないことばかりしてますね。

でもって目的地、八百屋お七の墓がある円乗寺です。
八百屋お七っていうのは実在した人で、火事の時に逃げ込んだこの寺で、そこにいた男の人に恋をします。西鶴好色五人女という作品で取り上げてるのですが相手とされてる吉三郎(実はすでに同性の相手が吉三郎にはいたんすがそれはともかく)のほうも乗り気で物売りに変装して会いに行ったりしてます。でもってお七はもう一度会いたい、ってんで火をつけます。火事になれば円乗寺へゆける→また会えるだろう、という算段です。大火にならずに済んだのですが、火付盗賊改めなんて役職があるくらいですから放火は大罪で処分せざるを得なくて処刑されこの寺に葬られています。死んでから逢わせたわけっすね。
我ながら狂ってるなあ、と思うのですがなんとなく逢いたさあまって火をつけたくなる気持ちってのはわかんないわけでもなくて(私は逢えそうにないときに相手の声聞きたさに留守番電話になると判ってて留守番電話の声を聴くためだけに電話を掛けたりしたことがある)、なんか微妙に親近感を覚えて以来、いつか訪れよう、と思ってた場所なので思い付きでここまで来たのでした。


以上、軽はずみな行動をする三十路の男が書く、本郷のかけあしガイドでした。