駅前の西友へ寄ると最近、増税前のお買い得品と称してカップめんとか天然水とかが並んでいます。ものによってはいま頼むと配送センタから一週間以内に届けます、って書いてあるのですがカップめんをあまり食べないのと、ミネラルウオータもよさがよくわからないので無視をしています。買い置きをまったく考えなかったわけではなくて保存のきくコンタクトのソークとか部屋干しトップを考えたのですが、マツキヨで花粉症対策のマスクを買ったときに4月1日以降は店内全品1割引きのクーポンを貰ってからは、そんなにあわてる必要はないかもしれない、と思うようになりました。来月売り上げの落ち込みをカバーするためにあちこちで手を打ちはじめてるのは確かなのでトータルではそんなに変わらないんじゃないの、というのと、在庫がだぶついてるんじゃないの、という思惑もあります。もちろんここらへんは賭けです。先のことは判りません。もしかしたら損をするかもしれません。でもあんまり気にしないつもりです。次あがるときに、参考にします。
選択をともなう判断というのは、ときとして損得を軸に、別のほうが良かったんじゃないのという「架空のある選択をしなかったことに関しての損」に責められやすいです。先のことが見通せれば話は別ですが、未来のことなんてまず霧がかかっててそんなに簡単に見通せません。霧のかかった未来を前にして選択したほうが良いことの証明はしにくく、また選択しなかったほうの選択肢を仮に選択してからといってうまくいく保証は必ずしもあるわけでなく、どっちにころんでも精神の安寧が訪れることはあまりあるわけではありません。もちろん「選択したほうの得」もあるのですが、それは隣の芝生は青かった効果で、あんまり見えてきません。
若干脱線すると、上を通過する人は、どちらかというと安いとか得するということにあまり熱心ではありません。そう考えるきっかけになったのは、安い酒と高い酒との2つあったとき、高いほうが美味しいから満足する、という理由からです。高い酒を飲んで満足すると(安い酒を選択しなかったことなど想起しないし、満足すると)しばらくそれで突っ走れると。だからあまり損得は考えないほうが良い、という考えをします。その経験則をきいたとき、妙に腑に落ちたことがあります。かわいくない人間なので・ひねくれてるので、高い酒でまずいのもあるじゃない、と抗弁すると、損したら次に手を出さなければいいわけで、勉強を思えばいいじゃない、と。
損得で考えても答えがでないことがあるので、考える時間が損かもな、と思うようになりました。損得勘定は時間を奪います。損得勘定になった時点で、おそらく損してるのかもしれません。よく「時は金なり」っていうじゃないですか。ほんとはぜんぜん違うかもしれないのですけども。