テキトーな生活

選択というのはときとして別のほうが良かったんじゃないのという「ある選択をしなかったことの架空のデメリット」に責められます。選択したほうが良いことの証明はしにくく、また選択しなかったほうの選択肢を仮に選択してからといってうまくいく保証などないことが多いので、どっちにころんでも精神の安寧が訪れることはあまりあるわけではありません。もちろん「選択したほうのメリット」もあるのですが、それは隣の芝生は青かった効果で、あんまり見えてきません。
はてな今週のお題が節約です。「節約というのはしたほうが良い」というのが空気としてありますが、じゃあほんとにしたほうがいいのかというと、判りません。今半の1500円牛丼を喰うか、吉野家の280円の牛丼にして浮いたお金で黒ラベルを何本か買うか、どっちが正解かってのはないからです。ただいわゆる宵越しの銭は持たないっていうのは隣の芝生を観ないというのとどこか似てます。ひとつの処世術みたいなもので、金のかかる選択をして(今半の1500円の牛丼をたべて)充分堪能したのだから隣の芝生をみてあれこれ考える(あのときあの金を浮かせておけばあんみつがくえたかも)というやぼな空想をしない方法です。節約のため安いので我慢してほんとはどんな味なんだろうと想像するより幸福だっていう考え方が底にあるんすが、でも節約ってつきつめないほうが・テキトーなほうが楽に暮らせます。
でもって若干宵越しの金は持たない方向に行きつつもムダの排除というのはけっして悪いことでは無いと考えててムダな出費を抑えたいのでピーコックその他のチラシはチェックしてます。ただしムリな節約はしません。ギフト解体市をチェックして醤油や日持ちするジャムを購入したりとか(調子に乗ってたくさん買い込んだらほんとに重かった)、その程度です。だから金持ちになれないのかなあ、などとつらつら考えちまうのですけども。しかし金持ちになりたいっていう意識もないんすが。