「より後悔しないほうを選ぶ」ことの限界もしくは五目おこげの経験

目の前に選択肢があってなにかしらを決断するとき、人って迷うことがあります。名古屋駅新幹線ホームの弁当店には無難な幕の内のほかにヒレみそカツ重というステキな弁当があるのですが、困ったことにヒレみそカツ重にはゆで卵が乗っています。ゆで卵が相変わらず苦手なので無難な幕の内を選んでしまうと「名古屋へ来てみそカツを喰わないなんて」という「ある選択をしなかったことに関しての後悔」を意識しやすくなります。わたしは後悔は少なめのほうが良いので「好きなものを食べない後悔」より「嫌いなものを食べた後悔」のほうが小さいと考えて、幕の内とヒレみそカツ重があったらみそカツ重を買い、最初に苦手なゆで卵を食べてお茶で口腔内をきれいにして、ゆで卵など最初からなかったことにして改めてヒレみそカツを味わいます。みそカツにそもそもゆで卵が必要なのかという問題提起を小声でしていますが、賛同者がいません。ぜひ賛同してくださる方がいたらご連絡ください、ってヒレみそカツゆで卵問題は横に置いておくとして。

きっと繰り返し話してるかもしれぬのですが、複数の選択肢があるときに迷うことがあります。幕の内かみそカツか、好きなほうかそれほどでもないほうか、めんどくさい方向へいくか簡単な方向へ行くか、とかです。どちらかの選択肢を選択したとき、ついてまわるのが、「選択しなかった選択肢を選んだほうがよかったのではないか」という問いです。迷いというものの正体の何割かはたいていそれです。でも先が見通せる超能力者なら別として決断をするときには選択したほうが良いことの証明はしにくく、また選択しなかったほうの選択肢を仮に選択してからといってうまくいく保証は必ずしもあるわけでなく、そのことを考えはじめるとどっちにころんでも精神の安寧が訪れることはありません。不安は消えません。不安は消せません。問題がシビアであったり、大きければ大きいほど、それらを考えはじめるとどっちも水戸街道じゃねぇ…イバラギへの道…じゃねぇ…イバラの道に思えてきます。どっちも水戸街道ではないイバラの道ならば、ということでわたしは「後悔が少なめなほうがよい」で判断することが多いです。そのうち問題になるかもしれないことに直面したとき・問題に直面したとき、返り血を浴びるのは覚悟のうえで波風が立つのを承知でおのれの手で処理しちまうか波風を立てずに前任者と同じく見て見ぬふりをして先送りしてその職位の無難に全うするか、だったら常に必ず前者でした。「あのとき○○してれば」という後悔よりやって失敗した後悔のほうがマシなのではないか、というのがあるからです。失敗して見通しが甘かったことを恥じることになったとしても資料と「挑戦した」という経験だけは信用してくれた人信用してついてきてくれた人たちには残せると踏んでのことです。

いつものように話は素っ飛びます。

選択しなかった選択肢についてなんすが、好きなことを仕事にしてる人が世の中にはいます。そういう人を眺めて好きなことを仕事にする選択肢、つまり選択しなかったほうの選択肢をとったほうがよかったかのでは?ということについて社会に出て数年は考えることがなかったわけではありません。なお、好きなことを私は仕事にはしていません。まったく仕事は好きではありません。ただ仕事以外で好きなことをやると執着したり知識の量を追い求めてそれ以外が疎かになるので視野狭窄になることに気がついています。好きなことを仕事にしなかったことで視野狭窄にならずに業務を俯瞰しつつ距離を置くことができてます。そしていまの職にそれほど未練はありません。それらの間接的効果として、事前にできうる限りの準備をして問題を処理しようと決断をしたときに、失敗したら居場所がなくなるけどそれでもまあいいや、いざとなったらそのときは辞めよう、と決めてました。味醂も未練もないので要らぬ妥協をせず、結果として相応の抵抗があったので地獄の淵をちらっと見たものの辞めずに済み、要らぬ度胸もつきましたし得難い経験もしてます。好きなことを仕事にしていたら絶対経験できなかったことです。好きなことを仕事をしたほうがよかったのではないか、という迷いはいまは吹っ切れてます。

でもってある決断をした結果、起きてしまっていることに問題があるとき、目の前の事態から解法を探し出さなくちゃということを優先すべきで、「選択しなかった選択肢を選んだほうがよかったのではないか」という問いは選択した選択肢を否定するものですが、目の前の問題解決にちっとも解決に結びつかない思考です。ある決断をしたあとの「選択しなかった選択肢を選んだほうがよかったのではないか」というのはほんと意味のない問いかもしれない、と思うようになっていました。害にしかならないのでそういう考えが出てきたら意識的に気分転換して考えを遮断している期間が長かったです。

以上のことはつい最近までのことです。

以下、くだらないけど重要なことを書きます。

はてな今週のお題#「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
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なのであれこれ書いてきたのですが、今月に入って中華料理店に行ったときに迷った末決断をして、炸醤麺を頼みました。けっこう好きで他の料理より後悔しないだろうと思ったのです。先に私の炸醤麺が来て少しのあいだおあずけ状態で同行者の料理が来るのを待っていました。同行者が頼んだのは五目おこげです。で、五目おこげが配膳され、おこげの上に五目餡がかけられ「じゅ、じゅじゅー」という音がしたときなんともおいしそうに思えちまい「あー、あれにすればよかった…」と本気で思いました(もちろん炸醤麺もおいしかったのですが)。ついでに書くともの欲しそうな顔をしていたのかトレードを持ちかけられてひと口分だけ分けて貰ってます。

でもって、炸醤麺という「より後悔しないほう」を選んだにもかかわらず五目おこげの登場で不意に「選択しなかった選択肢を選んだほうがよかったのではないか」ってのはでてきちまってます。長年生きるよすがとして頼っていた(と同時にベターな方法が思い浮かばないのでこの先も頼るつもりの)「より後悔しないほうを選ぶ」というおのれの処世術は五目おこげに勝てずに負けてます。もちろんなにが起きるかわからない(ので世の中だから面白い)と言えばそれで終わりなのですが、なんだろ、「迷い」と「決断」について他人にも役立ちそうな有益なことはやはりひとつもかけそうになかったり。