中公新書「感染症(増補版)」を読んで

第三波が来てから読むのは遅すぎるかもしれませんが、ここのところ「感染症」(井上栄・中公新書2020増補版)を読んでいました。すごく勉強になりました、で済ましてよいのかわからないので書きます。

本書はまず2003年に香港などで流行したSARSを例に「なぜSARSは日本人が罹患しなかったか?」という点に留意しつつ(この謎はぜひ本書をお読みください)、まず動物や人間の感染症の伝播経路を説明しています(ここらへんもぜひ本書をお読みください)。

でもって人間が動物と異なるのは言語を得てしゃべることと道具を(わりとよく)つかうことと生殖のためではない性行為の存在で、本書では人間の感染症の病原体の伝播に重要な役割を果たしている部位が言語や道具にまつわる口と手であること、および性感染症においては性行為が病原体伝播に関係してることも説明されています(P119)。その点を踏まえて、本書では飛沫や塵埃が病原体の運び屋となる場合にはマスク(の着用)や、手指についた病原体を体内に取り入れることを避けるためには手洗いと箸(の利用)や、性感染症であればコンドーム(の利用)など、それらの感染症を避ける行動が薬やワクチンではなく病原体の伝播を抑える簡単な手段であると指摘しています(P121)。箸について補足しておくと日本の場合、箸でご飯を食べ、めいめいに箸があり場合によっては割り箸を使うわけですが、手でパンを食べるより手指等から口腔内の伝播も起こりにくい(P32)とあって、いわれればあたりまえのことなんですが、読んで目から鱗でした。なお本書の初版は2006年です。ですからSARSなどが書かれてるのですが、読んでいてここらへんコロナ禍の今でも通じる話ではあって、シロウト丸出しの意見で鼻先で笑われそうですが米国や欧州の感染者のケタの多さはもしやパン食のせいでは?と思わないでもないです。

また上水道下水道等インフラ整備を含めいかに人間が周囲を清潔にし赤痢コレラなどの感染症を減らす努力をしてきたかや、それでも逃れることのできない各種の感染症等に触れています。例を挙げるとノロウイルスです。日本の場合、戦後しばらくまで排泄物を畑にまいていましたがいまは下水処理場で処理してて、ノロウイルスは頑丈なので肝心の処理場を通り越して海へ流れカキなどに蓄積してしまうことを述べ、加熱すれば別として人口の多い都市のそばの生ガキを大量にたべることに関しての注意喚起をしています(P72)。カキに疎く、そして処理場の限界を読むまで全く知らずにいたので、いまある技術は万能ではないし人はまだ克服できない問題を抱えてるのだなと強く思わされました。お好み焼きだったら加熱しますが「カキは旨いしなあ…」と考えるのでこの方面での対策というか技術開発を切に望むところなんすが、って話がズレた。

武漢市で新型コロナが流行してからの今年3月ころに付け加えられた補章では抗ウイルス薬やワクチンのない状況ではウイルスが伝播しにくい社会にすることしかないという趣旨のこと、そして個人ができることとしてマスク、手洗い、閉鎖空間での大声を避けることを著者は述べています。それらはおそらく一定の効果はあったはずですが、それから半年以上を経たいまでも残念ながら抗ウイルス薬やワクチンのない状況は変わっていません。

著者は最後の最後に進化生物学の観点から、ウイルスをうつしにくくすることによって(それはウイルスからすれば存亡の危機であり)ウイルス自ら弱毒化するという理論を紹介しています(P231)。凶毒なウイルスにかかった患者が寝込んでしまえば他人にうつすことができずその上でうつしにくい条件になればウイルスそのものも伝播せず絶えてしまうわけですが、弱毒化することによって人は寝込まず行動するので他人にうつしやすくなりウイルスは生き残れる、そのようにウイルスが変化するのではあるまいか、という予測を立てています。そうなるか・そうなりつつあるかは専門家ではないから・疎いからわかりませんが、そうなってほしいな、とは思いました。

本書は感染症全般についてあまり予備知識がなくても読める本であると思います。わたし個人はこの本によって「はたらく細胞」で得たインフルエンザウイルス程度のぼんやりとした知識が解像度の高い知識に置き換わっています。ただ新型コロナに関して突っ込んだ情報が欲しいと思う場合には物足りないかもしれません。