「流行感冒」を読んでの雑感

少し前に志賀直哉の「流行感冒」について書いた記憶があります。再度書くとスペイン風邪のときのことなのですが、志賀家で雇っていた女中さんは表面上は感染症を怖がっていたけど我孫子の街に芝居が来たらこっそり行ってしまいます。「興味深いもの>感染症の怖さ」のとき興味深いものを優先してしまうことってあるわけで、前にも書いたのですが人の行動って変容が難しいと思われます。もう少しネタバレをすると感染症に対して警戒していた志賀直哉自身も植木屋が自宅に来たときに一緒に力仕事をしてしまいます。それがどういう結果を招くかは本を読んでいただくとして。

三回目の緊急事態宣言に突入するのはほぼ確定してて休業要請などが大型商業施設や映画館などに出るようなのですが、志賀直哉の事例のように実は自宅へ第三者を招いてそこからってのもあるわけで、ほんとは「どこで感染しやすいか」というわかりやすさより「どういう状況で感染しやすいか」をしつこく伝えた方が良いのでは?とシロウトは考えちまうのです。植木屋さんを招く事例は稀にしても感染拡大時には飲食店での飲食以外も気をつけたほうが良いのでは?感染が拡大した失敗事例をテレビ等で広報したほうが良いのでは?とは思うものの、私が偶然みてないだけと思いたいところ。

8時にネオン類が消灯と聞いて都民は蛾扱いなのか?と思ったものの、それが行動変容に結び付けばいいのですが、どうだろ。

個人的なことを書くと恥ずかしながら仕事が若干忙しくて倒れるわけにはいかないと考えてて(相変わらずパプリカを歌ってるつもりが雛祭りと混同して赤いお顔の右大臣が出てくるのですけどともかく)念入りな手洗いなども含め若干神経質になってる気がしないでもないのですが、しばらくこの神経質を続けるつもりです。

もっとも近所のスーパーで灘の酒がかなりの値引きで売られててその背景を考えるとあまり良いことではないような気がしますが、神経質な対応だけでなく、適度な喉の消毒もしながら乗り切りたいところ。