文春新書「パンデミックの文明論」を読んで

ここのところ忙しくてはてなにログインもしてない状態で更新が滞りがちですが、憎まれっ子世にはばかるの言葉通りに生きのびております。そんななかでアウトプットが疲労でめんどくさくなり更新してないくせしてインプットというか本はちゃんと読んでいました。「パンデミックの文明論」(ヤマザキマリ中野信子著・文春新書・2020)という本が印象に残ってていちいち説明するのが億劫なので、ぜひ読んでください、で済ますのはさすがにちょっと気がひける、ので書きます。

ヤマザキマリさんはイタリアに関係が深い漫画家で、中野信子さんはフランス留学経験のある脳神経医学の専門家で、本書はその2人が対談形式で日本と欧州を対比しながら日本と欧州の考え方や文化の違い等を含めいくつかの点を浮き彫りにしてゆきます。書名にあるように疫病に対してのことが多いのですが、それがどのように社会に影響を与えたかにも世界史をふまえて触れられていて、大学を出てかなり経つ世界史(特にイタリア史)に疎くなってる人間にはちょっと興味深かったです。

本書を読んではじめて知ったことのひとつがイタリアにおける感染症対策の考え方です。ヤマザキさんの言葉を借りれば「どんな不安でも芽吹けばすぐ摘む性質」(P16)で、ともかく疫病が流行すると考えたら早期の段階で徹底的に抑え込もうとし、今回もPCR検査を大量に行い、結果としては病院がパンクしてしまうのですが、現地ではそれを包み隠さず報道していることもヤマザキさんは述べています(個人的に唸らされた)。不透明は不安を引き起こしますから、その点では理解できます。直視するのはきついですが、不安を除去するためにはきつくても直視するイタリアの凄みを思い知った気がしました。

初期ついでに書くと新型コロナ禍の初期の段階で日本ではわりとはやい段階から予防のためにマスク着用者が増えマスクが品薄になっていましたがイタリアの場合は感染症を抑え込もうとするもののマスクに対しての抵抗感が強かったらしく、ヤマザキさんはマスクが「病気になってしまったことを認めてしまうアイテムという意識が強いのだと思う」(P24)と述べてもいて、マスクに関する根本的な考え方の差も改めて知りました。

そのマスクについてに微妙に関係するのが疫病に対する姿勢です。14世紀の黒死病パンデミックのあと欧州において「疫病に打ち勝つ」(P52)という概念がでてきたのではないか、とヤマザキさんは述べます。その対比として中野さんが持ち出してきたのが

蘇民将来の護符です(↑は三重のもの)。この護符があれば疫病は寄りつかないとされてて飾られてる護符なのですが、日本は疫病に対しては勝ち負けでなく存在することはやむを得ずその上で疫病を「避ける」ことで対処する考え方がうっすらとあるのです。いまもウィズコロナなんていってコロナを勝負しないで受容してその上で各個人が「避ける」考え方を受容してるわけで。また病を「避ける」ために各個人がとるべき手段としてのマスクに日本人の多数が抵抗感がないのも腑に落ちるのです。闘うことと避けることは優劣はつけられるものではありませんが、ちょっと興味深いな、と思っちまいました。

世界史は高校のときにやってはいるのですが、恥を忍んで書くとアウグストゥスとかは覚えていてもローマ帝政がなぜ衰亡していったか、ということにあまり興味を持たずにいました。本書の中ではきっかけのひとつとして疫病が触れらています(P66)。アントニヌス帝の時代に「アントニヌスのペスト」と呼ばれる疫病が流行してしまい、商人が倒れ、食料がつき、貿易で物資を運ぼうにも船を漕ぐ人員がおらず、都市全体が飢餓の恐れがでてきて軍隊も脆弱化し、帝国を維持できるだけの体力を失っていったことが本書では述べられています。と同時にキリスト教が拡がってゆくのですが、以降、疫病とキリスト教と欧州の歴史は途中まで切っても切り離せないものになってゆくのですが、深くは知らなかったイタリア史が読んでちょっとだけクリアになっています。

詳細は本書を読んでいただくとして、他にも個人的には興味深い論点がいくつもありました。書かれたのは去夏です。そのせいか急ごしらえの本という印象はどうしてもありますしちょっと脱線してるかな、と思えるところもあって、巻末へ読み進むにつれて若干の物足りなさを感じたところがないわけでもなかったり。しかしそれでも値段分の知は得られたかな感はありました。