安政5年夏の状況

「一緒に来るか、所沢へ」で有名な?所沢から特急で1時間くらいのところに秩父市があり、秩父市の中心部から自動車で1時間くらいかかる山の中に三峯神社という神社があります。おそらく関東甲信越以外ではおっそろしく知名度は低いと思いますが狼(御犬様ともいう)を眷属としてあがめ(四足除というのは猪などの獣害除けの意味なのですが)四足除、盗賊除や災難除として知られてる、また崇敬を受けている古社です。

すこし前に日帰りで秩父へ行ってるのですが、社務所でわけていただいた「みつみ祢山」251号の中に載っていた「秩父地方の疫病除け」(高橋寛司著)という記事が興味深かったです。興味深かったといっても今年に入ってから「感染症の日本史」(磯田道史・文春新書・2020)を読んでそこで幕末にコレラや麻疹などの感染症が流行したことを知っていたからで、しかしより深く知ったところで日本史専攻でもないのでまったく益はありません。ただ過去帳をあたると甲州に居た先祖(6代目)の子が幕末の文久2年に(たぶん麻疹で)死んでいるので、幕末の市井の人々が疫病に直面したときどうしたか、というのが気になっていたので益はなくとも読んでしまいましたってわたしのことはどうでもよくて。

秩父地方の疫病除け」では安政5年に長崎に来た軍艦ミシシッピ号を感染源として拡大した(一説には江戸だけで10万とも26万ともいわれる死者を出した)コレラについて7月の江戸の状況を「武江年表」を引用する形で紹介しています。

狐惑(きつねつき)の患い(うれい)もあり。此等の妖孽(わざわい)を払う為とて、鎮守の祠の神輿・獅子頭をわたし、閭巷(ちまた)に斎竹(いみたけ)を立て、軒端には注連を引はえ、又、軒端には挑灯を燈し連ね、あるいは路上に三峯山遥拝の小祠を営しところもあり。節分の夜の如く豆をまき、門松を立てるも有し故、厄払いの乞巧(かたい)人もでたり。

というように(想像はしていたのですが)神仏に頼るしかなかったことがわかりました。そして高橋さんはコレラ除けに三峯山が出てくることに注目し、「狐惑の患」とあるようにコレラの正体を狐と考えていたようで、関東甲信越の農村部や山間部では三峯山=三峯神社は「(獣害除けとしての)四足除け」として知られていて、その四足除けがコレラの正体と思われてた狐をよけると解釈したのではないか、と指摘しています。

残念ながらコレラは江戸のみならずほんとに各地でも流行したようで、大宮町(いまの静岡の富士宮)では人々に次々と憑依する「くだ狐」の仕業とされ、各地に伝わる除災の方法を試みるも効果がなく、狐の憑きものおとしに御利益があると伝え聞く秩父の三峯山の「生の御犬」を4町分4匹借り受けに(≒この時点では生きた犬を借りるつもりで)秩父へ行くものの三峯山では

「生のカゲのと二色は無し、左様に疑う心ある処へは貸し難し、前々の通りカゲにて遣すべし」

としていわれてしまい、結果としては御犬様の神札を借り受けてそれが大宮町で祀られたようで。三峯山の「日鑑」によると翌月には駿河伊豆甲斐からの「御犬様拝借」が増えたほかまた東海地方から江戸にかけての地域から変病除けの代参も増え、「御犬様拝借」は安政5年8月中に1万にも達したらしく、駿河伊豆甲斐や江戸が切迫した状況であったことが伺えます。三峯山は秩父の深い山の中で、また富士宮から富士川沿いに行き甲府盆地へ行けてそこから秩父往還秩父へ抜けることができるのですがやはり秩父往還は深い山の中で、それでも神札を求める人が多かったというのは、それだけ深刻だったのだろうなあ、と(同時に移動を封じることってむずかしいのかも、とも推測できるのですが)。なお余談ですがいまは「御犬様拝借」とはいわずに「御眷属拝借」といい、拝借することができます。

高橋さんは「いつの時代も、目に見えない疫病に襲われる死の恐怖を前にすると、迷信だのまじないだというものの、止めたら流行った事例から、地域の伝統習俗の変化にも恐れを抱いてしまう」と書かれてて妙に腑に落ちていて、(宗教学をやったわけではないものの)たしかに恐怖に裏打ちされたものはそれがどんなものであれ信仰とよべるのかというとそうではないはずです。しかしそういった理屈を超えて恐怖と近接してしまうのが感染症や死の怖さなのかもしれません。

個人的にはコレラを狐に置き換えてしまうのも不思議といえば不思議でどういう心理が働くのかいくらか謎なのです。もしかして狐であればなんとか除けることができると思えるから狐になったのかもですが。狸や鶴じゃだめなんだろうかというくだらない疑問はさておき。

安政5年の夏と異なり今回の疫病はワクチンがあるものの接種は道半ばで、しかし手洗いや不織布マスク装用のほか個人でできるのは限りがあって、あとは安政5年と同じく神仏に祈るくらいしかないってのがちょっと悲しいところですが。

悪い癖なのですが予習せずに現地へ行って、東京に戻ってからあそこは面白いところだったのだ、と知ることが多いです。三峯へ行った時も長居はせずに帰って来てしまったのですが、今日もかなりシビアな数字がでてるのですけどこの第5波を生き延びてそのお礼を兼ねていつか再び行く機会があったら、今度はゆっくり見学するつもりです。