安政を繰り返すかもしれない話

中学高校で日本史をそこそこやっていて、しかし正直なところいまいちピンとこない点がいくつかありました。幕末に天誅組の変とか天狗党の乱などの尊王攘夷を掲げるグループができますが、なぜ彼らが攘夷、つまり外国人排斥を唱えていたのかが最近まで理解できていたかというと怪しかったです。諏訪に神州一味噌があるのですが諏訪に限らず日本は神州=神の国であるという思想があって、そのナショナリズムが攘夷とくっついたのかな、程度の理解でした。ただ、今年に入ってから「感染症の日本史」(磯田道史・2020・文春新書)を読んで感染症が幕末の攘夷に微妙にリンクしてることを知ります。

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ペリー艦隊が長崎に寄港した際にコレラ患者が居てそれが長崎から江戸などに飛び火した事実やその後も異国船の寄港が原因で麻疹などが猛威を振るっていたことなどを「感染症の日本史」で知ると、水際対策などない当時ナショナリズムではない別の種類の外国人排斥の機運が当時あったとしてもおかしくないように思えます。

話はいつものように素っ飛びます。

10日付の毎日新聞の書評欄に磯田先生が「安政コロリ流行記」(白澤社)という仮名垣魯文の書いた幕末のコレラ流行に関するの本の現代語訳を取り上げていていました。前半には米の給付であるとか死亡者数など詳細な記録が載りつつ、後半は磯田先生は現代人には理解不能な記事のオンパレードと評してるのですが、事実に基づかないもの、たとえば狐狼狸(←これでコロリと読む)なる獣などが登場するそうで。磯田先生は歴史学者ですからおそらく困惑していたのではないかと推測するのですが、所属する組織の(建築の専門家である)井上章一先生から、事実から派生する「尾ひれ」の部分が重要で、事実ではない「尾ひれ」がどのようにつくか、そこに人間社会の本質があらわれる、との示唆を磯田先生は受けます。つまるところコレラという事実からでた尾ひれが事実ではない架空の獣の狐狼狸で、幕末はコレラが可視化できませんから架空の獣を想像して共有化してたのであろうと磯田先生は述べます。詳細は毎日新聞をお読みいただきたいのですが、幕末の攘夷運動は異国人を狐や狼や狸を扱うような妖術遣いと見立てたことによる深層心理が働いていて「尾ひれ」が歴史をうごかしたのではなかったか、とも磯田先生は述べています。また正気の沙汰ではないコロナ禍の東京五輪に目を向け、恐怖が国民に植え付けられれば幕末同様の歴史を乱すに値する何らかの深層心理が生じるのではないか、と最後に問いかけます。最近毎日の書評欄は書評というより時評的なものが多いな、と思いましたって私の感想はともかく。

噴飯ものの「ワクチンをうつことで5Gに接続できるようになる」というのもなにかしらの「尾ひれ」と考えると(理解したくないけどすこしは)理解でき、磯田先生の記事は読んでいて腑に落ちるところがありました。でもってもし磯田先生の仮説が正しかったとしてなにが起こるのだろうか?というのは良い結果は出そうにないのであまり想像したくありません。いまのところコロナという事実からでてきた「尾ひれ」でもある妖怪のアマビエが居るものの我々は異国の人を妖術遣いとがおもっていませんが、やはり歴史を紐解けば考えられるのは幕末のような感染拡大の末の攘夷で、同じ道をたどっての外国人排斥は決して好ましいとは思えないのですけども。

たびたび話がすっ飛んで恐縮なのだけど、読んでていまある現実とフィクションの世界って近接してたらよかったのにな、とか、くだらないことをちょっとだけ考えました。異世界に転生すれば・世界線がかわれば・妖怪が出てくれば、とかのフィクションだったら答えが出そうな気がするからです。もっとも現実には異世界へ転生できず・世界線が変わらず・妖怪も出てきませんから、地獄なのですが。

なんだろ、ほんとフィクションだったらよかったのに、という現実が増えちまった気が。