喰いものの恨み

鯉という字を分解すれば魚へんに里ですからおそらくどこにでもいたはずでもちろん江戸でも喰われてたはずで、剣客商売など時代小説を読んでいると鯉を料理してる場面に出くわすことがあります。「あらい」(湯水に通してから氷水に通す)にしたり、塩焼きにしたりです。どちらかというと鯉は生きているのをすぐしめたほうが美味しくて、また鯉肝をつぶすと苦味があってどうしようもないので、私は料理したことはありません…ってないっちょまえの能書きを垂れてますが、柴又の川甚という店で「鯉のあらい」と「鯉こく」をはじめて食べたのが数年前のことです。とても美味で絶品なのですが、相応の値段なので通い詰めることはできず、片手で数える程度です。なので鯉についてほんとは大口叩けません。

残念ながら鯉料理の存在を教えてもらえた川甚が今月いっぱいで暖簾をおろすことを知って、それほど通ってないので云えた義理ではないのですが、もう喰えないのかと思うと「惜しい」のひとことに尽きます。

いくらか話は横に飛ぶのですが東京は甘いもしくは甘辛いものを美味いとする独特の食文化がありました。過去形なのは実のところ風前の灯火だからです。味噌も江戸甘味噌というのがあるものの、神州一のみ子ちゃんやマルコメくんの怒涛の攻勢の前には多勢に無勢で、料理などでも甘味噌を使うところは少数派です。話を戻すと鯉を味噌で煮込む「鯉こく」は東京以外でも作られるはずですが、川甚の場合は江戸甘味噌で(それがしょっぱくならない)箸がとまらぬものになっていました。江戸時代から続く食文化を継承する店のひとつであったのでそれがきえちまうということは繰り返しになるのですけど「惜しい」のです。

時短要請や会食の制限のお願いなどひとつひとつは理解できなくはないので正直限りなく言いがかりに近いのですが、美味で長きにわたり食文化を支えた店のひとつを残せず、なにが「文化発信都市東京」だよ「食文化あふれる国日本」だよ、と思わないでもなかったり。書いてて感情的になってるのに気がついたのですが、喰いものの恨みってでかくないっすかね。ないかもですが。