バカにはhard to liveな世の中

いまから30年くらい前の、いま40半ばのおっさんがガラスの十代どまんなかだった頃に、多摩では「なにげに」という言葉がありました。バレーのアタックが「なにげに巧いんだよ」とか予想外にとか思ったよりとか、そういう意味合いで使っていて、ただその「なにげに」というのは誰もがわかる言葉ではない、という忠告を受けてから知り合い以外にはあまり使わなくなっています。以降、誰もがわかるような話し方とか書き方を意識しています(学ぶ必要のあった分野の専門用語を社内や別の分野の人に説明せざるを得ない状況に追い込まれてからはさらに意識するようになってます)。話す方・書く方と聞く方・読む方の双方が知ってる言葉であれば意思疎通ができますがそうじゃなければ聞く方・読む方が博多弁で「いっちょんわからん」とつぶやく可能性がある、つまりちっともわからないし伝わらない可能性があるわけで。ここらへんのこと、前にも書いたかもしれません。

はてなにははてなブックマークというサービスがあって、私は一切やっていませんが記事にそのはてなブックマークがついたことがあります。以前、そこに「ナラティブ」という言葉があって、でも「いっちょんわからん」。ルー大柴師匠のすごいところはカタカナ語を多用しても意味が通じるところであることに、知らないカタカナ語をつきつけられて初めて理解できてます。ルー大柴師匠のことは横に置いておくとして、いまでもナラティブって理解してないです。webの怖いところは置かれた言葉を読む方が私のような無知識系バカだと永遠に正解あてゲームをしなければならない点です。私より無知識である人は少ないと思うのですが、ナラティブの一件があってからより言葉には気を付けるようにしています。愚者は体験から学ぶといいますが上記のような経験から学んでしまったので私は愚者なのですが。

今朝の毎日新聞には辞書を編む人による今年の新語が11語ほど挙げられてる記事があったのですけど、カタカナ語を含めて3つほどわからないのがありました。それらの言葉に関してどういう意味かの解説がほぼ無かったので(たとえば「にわか」が新語なのだけど、たぶん煎餅のことではないと想像つくもののどういう意味で新語になったのかの解説がない)、「いっちょんわからん」とつぶやいちまってます。

ひと目見ただけではわからぬ新語ができたこともそうなのですが、なんだろ、誰にでもわかる話し方とか書き方がいいってのは幻想だったのか・この30年の間に廃れてしまったのかなあ、という気がしてならなかったり。もしかしておれが無知識系バカなだけかもしれないのですが、だとしたらいまはググるのがめんどくさい無知識系バカにはルー大柴師匠的に言えばhard to liveな世の中になっちまったなあ、と。