「洋酒天国とその時代」

洋酒天国とその時代」(小玉武筑摩書房・2007)という本を古本屋で見つけて今秋、時間があるときにちらっちらっと読んでいました。洋酒天国というのは洋酒の寿屋、今のサントリーが昭和30年代に寿屋のお酒を出していたバーに常連客に渡してもらうためにノベルティーとして配布していた部数限定の雑誌で、執筆者は薩摩治郎八、吉田健一淀川長治小松左京瀬戸内晴美森茉莉、草野新平、田村隆一金子光晴などを起用し、いちおうノーメル賞という名のカクテルコンクールのページはあるもののお酒に関係ないことであっても掲載していたようです。ようです、って書いたのは当然生まれる前の事象ですし、実物を読んだことがないので、断言はできません。個人的に(読みはじめた頃には亡くなっていた)開高健という作家の著作にのめり込んでいた時期があって、開高健さんは洋酒天国の初代編集長でしたから洋酒天国の名前だけは知っていたので「洋酒天国とその時代」も開高さんに関する記述があるかもしれぬ、と考えて思い付きで買っています。

洋酒天国」は寿屋の宣伝部が関係してきます。その寿屋の宣伝部の歴史から本書ははじまっています。戦前には川柳や俳句関係者が宣伝部におりリズムのある定型詩が広告に影響を与えたことなどに触れ、開高健作とされるリズムのあるコピーも掲載され、宣伝の素人でも読まれるためにはリズムが必要であることがなんとなくわかるように本書はなっています。俳句がらみで書くと創業者の子で開高さんを入社させる佐治敬三社長も句を詠んでいて本書にも載っています。佐治社長は社長になる前に入社前の開高さんの書いた宣伝文句を買い取るのですが、佐治社長もまた文章に関して独特の感覚を持つからこそ開高さんを評価することができ、経営幹部にそういう人がいたからこそ「洋酒天国」やのちのサントリーの独特の広告の世界につながるのかもなあ、と思いました。なお戦後すぐに「ホームサイエンス」という家庭啓蒙雑誌を夢と希望を抱いていた若き佐治さんは市場に出して見事に失敗します。その「ホームサイエンス」にいて佐治さんと議論していたのが牧羊子さんで開高さんの奥さんなのですが、詩で評価されていたことを恥ずかしながら詩に疎いのではじめて知りました。でもって詩や俳句、川柳、文学にちかいところに寿屋・洋酒天国サントリーはずっとあったことになります。

話を元に戻すと、本書は「洋酒天国命名者である佐治敬三、初代編集者である開高健、二代目編集者山口瞳アンクルトリスの生みの親である柳原良平、執筆者である埴谷雄高山本周五郎などを軸に昭和三十年代の世相や執筆者・関係者のエピソードのほか文学者に関しては文学に関しての記述がかなり多いです(特に山本周五郎さんに関してはとても興味深かった)。匿名を奇貨として恥かきついでに書くと私は開高健さんの小説やルポはある程度目を通してはいるのですが、それが当時どういう評価を得ていたかを知らずにいました。「洋酒天国とその時代」はそこらへんも網羅していて、開高さんは新聞社特派員としてベトナムへ行き「ベトナム戦記」を書いているのだけど、それらのことについて三島由紀夫吉本隆明といった人たちから、作家が戦場に行かなければ戦争が描けないならば作家ではない、という趣旨の批判を得ていたことを本書ではじめて知ってます。開高さんの作品のいくつかは身体を使って得た経験から物語の本質をつかんでいるような気がしてならず、経験から物語を紡ぐ方法が否定されるとしたら、文学ってすごく狭くなるような気が。文学部卒ではないので文学ってなんなんだろってのは相変わらずわかんないのですが。

得意ではない文学の話は横に置いておくとして、その時代に生きていたわけではないけど、本書はとても読み応えのある本でした。

以下、些細なことを2つほど。

茅ヶ崎開高健記念館というのがあって、そこにあるとき尿瓶型のデキャンタがおいてありました。栓を開けたワインは空気に触れる・なじませることで飲み口が変化して柔らかくなるとは云われてて、普通のデキャンタより尿瓶のほうが良いのは理解できたのだけど、開高さんが作らせたのかな、などと想像していました。本書を読んでいて、洋酒天国に寄稿したことのある淀川長治さんと開高健さんが出席したシンポジウムにおいて尿瓶のカタチをしたデキャンタを記念として出席した参加者に配布した記述があって謎が解けてます。

また淀川長治さんにまつわる別の話なのですが。

翌日に講演会があり疲労があったので眠ろうとするのだけど、これだけの勉強で寝て良いのだろうか、という「こわさ」に苛まれ、翌朝4時まで眠らずに本を読んでいたのだそうで。この「こわい」という感覚をずっと持っていて、一種の強迫観念のような「あれをやっておかなければ」、っていうのも持っていたらしかったり。朝まで本は読まないけど「こわい」という感覚がなんだかうっすらわかって対策を取りたくて「あれをやっておかなければ」ってのも皮膚感覚として理解できてて、読んでておれ、淀川さんほどではないけど強迫観念のようなものを持ってるのだ、と自覚してます。淀川さんは持っていた感覚を「ウエルカム・トラブル!(苦労よ、来い)」という信念に変化させるのですが、私はその境地には達することができなさそうで、なんとなく奇才とどってことない凡人の差を思い知らされた気が。