怒りのコントロール

火事と喧嘩は江戸の華、なんて言葉があるのですが、何割か江戸っ子の血をひいてるのでいくらかけんかっ早いところがあります、と書きたいところですが、気質を血のせいにしてはいけないような気がするので書き直すと、私は恥ずかしながら若干短気なところがあります。手は出さないまでも、腹で思っていることと違った顔が猫はできないらしい、とはいいますが、それに近いです。失敗というほどではないけれど沸点が低いところがあって、本人は気がつかなかったのですがペーパーを読みながら説明を聞いてるうちに場合によっては内容が不満だと顔つき・目つきがどんどん険しくなると指摘されたことがあります。怒りというのを伝えて事態がカイゼンできればいいけど、それが見込めないときはめんどくささが先に来るものの、表情にはでちまうわけです。理由はわかっててそのことで頭がいっぱいで、クールを演じる余裕がないわけで。いまのところ致命的な失敗はないけどなかなかそこらへん是正は案外難しいです。
テニスのセリーナ・ウィリアムズ選手の試合での激高について新聞で読んでいて、私は行動に起こすかどうかは別として短気と自覚してるのでなんとなく他人事とは思えなかったのですが、怒りのコントロールってどうすればいいのかな、ということを改めて考えちまったり。数を数えるといい、というのは聞くのですがだいたい忘れてます。猫の上に「怒りを鎮めるツボ」というのを教えて貰ったことがあるのにもかかわらず忘れるくらいのとりあたまなので、たぶん答えなんかないんすが。