孤独のこと

村上さんの問答集は興味深いものがあってどんなに眠くてもたまにみちまうことがあります。そのなかで読者からの質問で「批判されるのが怖い」ってのがありました。わからないでもない話で、面と向かってなにかいわれてるときは否定されてるのかなってのがありますから、私も身構えやすいです。それでもたまに「ああなるほど」と思えることがあるので、けっこう慎重に聞きます。結果自説を曲げたり同調することもあります。
個人的に怖いのは、複数の解がありえるんはずのことでこたえがひとつしかないという前提でその答えがわからないのはわからないっていう正解探しゲームみたいなものです。わりとカチンとくるのは「フツーそうは考えないでしょ」とかの普通とか「イッパン的には」とかの一般ってことばです。普通とか一般ってのはどこのだれが決めてんだろうと不思議なんすけどそれはともかく、おそらく言ってる人は善意であって・その忠告は群れから離れる羊を番犬がほえるようなものなのかもしれません。おれはベッドではネコなので羊ではないって脱線しそうなので元に戻すと意味不明な付和雷同がどこか苦手なので、ものによってはこちらは折れないこともないわけではなかったり。また、どこかに(到達できそうにない)理想があってそれに近づいてないことの批判とか、耳を傾けるふりをしながらそれは絶対ムリだぜ、とおもうこともあるのですが、いうとネバーエンディングヒステリーになるのであんまりいいはしないのですけど。
村上さんは「批判」されたり「嫌われたり」するのが普通であったと述べてて、最初から嫌われるものだと思えばそのうちこたえなくなる、洋楽の歌詞を引用して「人は孤独なものである」とも述べてるのですが、理解できないわけでもないけどなかなか言えないよなあ、と思いました。根っこにどこか万人に「好かれたい」という願望がまったくないわけではないのでそこまでの境地には至れていないからです。このブログを書いてるやつはそういういやらしいところがあります、って、てめえのことはともかく。
「人は孤独である」ということがほんとに事実かどうかはわかりません。でもなんとなくわからないでもなかったりします。人間だれしも差異がありますから、同じってのはそれほど多くはないはずです。イッパンとかフツーが私にはぴんとこないように、誰もが同じ経験をしたわけではありませんから、言葉を発しても伝わるとは限らないわけで。個人の体験に落としこめば根っこが饒舌なのに孤独であるがゆえに他人に意図を伝えたい欲求が過剰に有って、本気で「この言葉にして伝わるんだろうか」なんてことも考えちまうのですが。
ことばを発せれば発するほど焦っちまうことってないですか、ないかもですが。画面を眺めながら孤独ってなんだろうとか夜中に余計なことを考えちまいました。孤独なやつかもしれません。もし孤独じゃなかったらこんなブログかいてないかな。