無理の話

[よく『それは無理です』って最近の若い人達は言いますけど、たとえ無理なことだろうと、鼻血を出そうがブッ倒れようが、無理矢理にでも一週間やらせれば、それは無理じゃなくなるんです]

ある新進の経営者がある作家に述べた言葉です。誰が誰にいったかはともかくとして、こういう人はいます。
てめえは若いのか、というのをさておいて、私は「無理です」をいうことがあります。私が社会に出たのは完全にバブル崩壊後のことで、さらに簿外債務とか会計に関する不祥事や、株主総会での不祥事とかが相次ぎました。よく最近コンプラというテンプラに語感が似た言葉が出てきますがそれを叩き込まれた世代です。まず根っこに「不正でないか」というのが叩きこまれます。もちろんなにごともトラブルが起きないようにするというのは絶対無理です。起きちまうことは仕方ないのです。でもなるべく起きないようにする・起きたら被害を最小限にする、というのを暗に叩き込まれました。
わけあってやった仕事のひとつに税にまつわることがありました。で、税に関することは国税と争っても消耗するだけとわかってるのであまりグレーなことはしたくありません。グレーは必ずしもクロではありませんが必ずしもシロではありません。やってみなくちゃわからないのですが、やってダメだったらどうなるか、というのを考えなくちゃ、です。信じて任せてくれてる・ついてきてくれる社内外の人に迷惑がかかるのでグレーっぽい処理を巡ってグレーをそのままにしようとした相手方に対して「無理です」ということをねばり強く繰り返したことがあります。根っこになるべくトラブルが起きないようにする、というのがあったのはいうまでもありません。しかし無理ということをそう簡単には納得しない世代が居ます(たいてい年上です)。ばれなきゃグレーでも大丈夫だろうという発想が根底にあっておそらくいままで無理を押し付けてきたのだろうな、と想像するのですがけっこうぼろくそにいわれつつも可能性のあるリスクを全部説明して粘りに粘ってこちらのやりたいように押し切ってやらせてもらったことがあります。


無理というのは可能性の問題も関係してきます。無理そうなことでもやってみなくちゃわからないところもあります。問題が起きなければ表面上は無理そうなことを無理強いしても表面上は無理ではなくなります。それのどこに問題があるのといわれるとぐうの音も出ません。ぐう。しかしそのやり方が常に大丈夫かという保証はどこにでもあるわけではありません。税や法制の問題に限らず、無理の度合いが高ければ高いほどそこに問題が起きた時にコントロールできなくなる可能性が高いです。それをどう考えるかの話で、おそらく私は度胸がないほうなのかもしれません。
度胸がないというのは、過去の状況がそのまま通用するわけがない・世の中常に一定でないというのと問題が起きた時をどこかで考えておかねばならない、というところから私の場合は来ます。このどこか悲観的な発想はおそらく環境によるものなのかな、と思っています。政治家を目指してる新進の経営者がどのあたりの世代を指して若いといってるのかわからないのですが、若いっていうのには苦しいのですがバブル期の処理をみてきた世代の何割かは、やはりそうなっちまうのではないかなあ、ってそれはともかく。
「無理という」のはなんだか否定的ニュアンスがでかいですが、着実なほうへ行く・危ない橋を渡らないということでもあったりします。くりかえしますが無理をするというのはギャンブルみたいなものです。周囲に無理を強要するタイプが居なくてよかったな、とつくづく変なところで我が身の幸運をちょっとかみしめてるのですが。