内なる「かまってちゃん」

誰が読むかわからないところで個人あてに書くと、意味不明な文章になっちまうかもですが。
前にも書いたことがあるのですが卵が苦手です。生卵のぬるっとした舌ざわり、茹で卵の黄身の味や感触など嫌う理由はいくらでもあります。とても困るのがフライとしてのスコッチエッグです。自作してるわけではありませんからげんこつコロッケと見分けがつかず、知らずに口にすると悲劇です。なんとかならないかと思ってるのがカレーパンにおけるゆで卵です。私が政権をとった暁にはスコッチエッグ禁止法と卵入りカレーパン禁止法を国会に提出したいと思っています。ついでに書くと近所のファミマの弁当は卵料理の使用率が高かったりします。ファミマの株を買って卵嫌いの代表として株主総会で発言したいところですが、って話がずれたのですが、ファミマで弁当を買って済ませれば時短になると知りつつもゆうめしをあれこれ考えて作る理由の何割かは卵を全力で避けるためです。自力でメシを作れば卵を確実に喰わなくて済みます。私は卵料理を作らないという点では徹底してて、ピーマンが嫌いな子供がピーマン料理を全力で避けるのと根っこは同じですって、なんだか書いててすっごく情けないおっさんですが。
いま住んでいるところは鮮魚の種類が豊富なところではありません。ブリは手に入り易いので照り焼きにすることがあります。ブリの照り焼き、火を通し過ぎるとパサパサしてしまうので見極めが大事で(それに気がつくくらいには失敗をしている)、ブリの照り焼きを作りはじめるとだいたい目の前のことしか考えることしかできません。叩き胡瓜の梅和えの叩き胡瓜もそうなのですが、結果的に目の前のことに集中せざるを得ないので作ってる間はそれまで考えていたことをたいてい忘れています。おのれが単純であることの証明にもなっちまうのですが、料理ってそれまで考えていたこと・その日にあったマイナスなことがある程度リセットできます。やはり料理をする理由の何割かはそこにあります。料理の効能って、栄養学的側面だけでなくそれ以外の効果もいくつかあるんじゃないかって誇大妄想的なことをたまに考えちまいます。
誇大妄想的なことを続けます。
料理でリセットできないような、自分が抱えてるものがでかいとき・目撃したり耳にしたことがことがでかいとき、そのことは直接触れずに別のことでも誰かに聞いてもらおうとすることがあります(いちばんの被害者は上を通過する人だと思う)。だれか聞いてくれている、と思えば、一人ではないのだなということが誇大妄想的な錯覚かもしれないけど感じることが出来るからです。延長線上に「誰かきいてくれる」と考えてなにかしら文字を書く、というのもあってそれは根っこに「内なるかまってちゃん」があるのではないか、と思っていますし「かまってちゃん」だから誰かに読まれることを想定して文章を書く努力をしています。もし健康で強靭な精神力を持つ卵も食べることが出来る大人になってれば、料理もしなければこんなところにおのれのことなんざ書かなかったでしょう。私はすっごく子供っぽい人間です。
幻影がとけたかどうかはわからぬものの火のそばでおたまのプラスチックの柄がとけぬよう留意して、今後も料理をして文章を書くつもりです。