口説きの練習

私はハルキストではないのであんまりちゃんと読んではいませんが、ここのところ村上春樹さんが特設サイトを作っていてその問答が(はてなが協力してるせいもあり)はてなで紹介していたりします。その中で興味深かった問答があって「文章を書くことが苦手だけど、文章を書きやすくならないか、文章読本的なものをきかせてもらえないか」という問いに、村上さんが「口説き文句と同じで練習すればなんとかなる部分もあるが基本はもって生まれてのものできまる」と回答してありました。
私も書くことは苦手です。文章もうまくはありません。会話のことばの反応は相手の反応をみてればなんとなくわかりますが、文章はそれがありません。仕事に関してもたまーに意思疎通がうまくいかなくて追加で電話したうえで趣旨を理解してもらったこともあれば、直接説明して「ああそういうことかああ」ってなこともあります。このidでは電話番号を公開してませんし、オフ会等には一切出ていませんからそれすらできません。巧く伝わるかどうかすら怪しいわけで。文章を読んで「こいつアタマおかしい」と思われたら反論の機会をもてません。匿名とはいえけっこうしんどいことです。しんどいけど続けてるのは単純な話で、人にわかるように工夫して考えて書くということが、なんとなくおのれにとって大事なのではないかと考えてるからです、ってそこらへんは置いておくとして。
でもって、くどくのと同じで練習すればなんとかなるというのは、まあそうなんだろうなあ、と納得しちまうところもないわけではありません。語り口というかこの人の云ってることがひっかかるとかちょっと耳を傾けてみようかな、というところであると思います。よく「わたしはこんなにすごいんだぞ」的な人っているじゃないっすか。ブランド物の良い服を着たりっていう。でもそこにひとは惹かれるのかっていったら若干違うわけで、口説くほう・口説かれる方も同じ空間でどれだけ相手を楽しませるか・楽しませてもらえるか、というところなんじゃないかと思うのです(私は口説くこともしたけど口説かれて抱かれてることがあったせいもあり、口説くことに自信はあまりないので断言はできませんが)。文章とて同じことで、なにかを紹介するとしてもおのれの知ってることをどれだけたくさん詰め込んだかではなく・知識をひけらかすことではなく、読んで「へへそれは興味深いね」とか「なんだかわかんないけど損はしなかったな」という気分にさせることが重要なのではないかとか、ここんところずっと考えているのですけども、って実践できてるわけでもないですが。文章も前戯と同じでいつのまにか気分良い状態になってそのあとゆっくりほぐしてもらってすすすーっとなにかが入ってくるのがイタくなくていちばんいいはずでここらへんだって最初はダメな可能性があるけど場数を踏めばって、なんの話をしてたのかわかんなくなってきちまうので話をもとに戻します。でも、練習すればなんとかなるというのは、なんかこう、場数を踏んでえっちがそれなりに向上した(ようなきがしている)ほうからすると、文章を書くことが苦手と自覚してる人間にも一筋の光がさし込んだような気が。でも文章が苦手じゃなくなったとしてどうするの?という問題が出てくるんすけども。プロのブロガーにも文筆家にも小説家にもなるつもりがない人間がそんなことを考えてもなんのプラスにもなりゃあしねえのですが。でも表現ってプロじゃなくちゃいけないのか、っていうとそんなことはないはずなんすが。
村上さんは文章は「生まれもったもので決まる」としながら、どこらへんがどういうふうに、という実例を示していません。(英語の文章のように飽きないように韻を踏んだり)文章にリズムを入れることを知らず知らずにやってしまうこととか、書く言葉が相手がわからない可能性があることをどれだけ意識するかとか、そこらへんなのかなあ、と推測しますがぜんぜん違うかもしれません。もしかしたら技術ではなく根っこから湧き上がるような「伝えたい」という欲求の有無なのかもしれませんが。