民法という法律があるのですが、前半のほうにあるのが俗に財産法とよばれるものでたとえば売買とか質権とか債務にかかわるものがあり、末尾のほうにあるのが家族法とよばれる分野で婚姻や離婚に関するものがあります。同じ民法の中にありながらかなり異なります。契約法とよばれるものが「合理的で打算的で選択的な意思に基づくもの」を前提にしてるのですが、たいして家族法というのは「非合理的で性情的で決定的な意思」を前提にしています。自動車や不動産物件を買うときにいろいろ物色して合理的に打算的に財布と相談しながら買うことが多いと思われますが、婚姻というのは相手を物色して合理的に打算的に財布と相談してするものか、というと必ずしもそうではないことが多いです。ここらへん中川理論といって民法と家族法を齧ると触れざるを得ないとても奥が深い分野なのですが、家族法の授業をここではじめるつもりはありません(もし興味を持たれたら内田貴先生の東大出版会の民法親族相続編の一読をおすすめします)。
人は婚姻に至らなくてもその前の段階で、合理的でない打算的でない意思を持って行動しまう生き物であったりします。死が二人を分かつまでという言葉があるものの、二人で生きてゆくのが大変なので一緒に死ぬことでとわに一緒になるという幻想を持つ心中事件なんておきちまうわけで。話が大げさになっちまいましたけど卑近な例でいえば、お医者様でも草津の湯でも恋の病は治せないとはよくいったもので観察の結果ある女優が好みと公言してたにもかかわらず似ても似つかぬ顔チェキで竹野内豊に6割の平たい胸族の野郎を抱くようなってるのですから恋愛というのはやはり非合理的で非打算的で傍からみると熱病とか病気に似てるのかもしれません。はてなの今週のお題が「ラブレター」なのですが、恋愛が熱病であっても器用に文章を書ければ恋文の一つや二つ書けたのかもしれません。同じ曲を聴いて、同じような感想を持ち、そういった同質性が嬉しい、ってことをメールした経験はありますが、同質性があるから好きになったわけでもないし、状態は記述できるので別として、中川理論を持ち出すまでもなく「なぜあなたなのか」とかのおのれの恋心のようなものの根源はいつまで経っても合理的に説明できませんし、「過去の相手に比べてあなたは×××の相性がよいから、といった理由で好きになった」などという打算的理由があるわけではなく、書こうと考えても文章が続きませんし難題で、生来の不器用もあってまともな恋文は書けたためしがありません。
なんだか書いてて途中からいかにおのれがあたまが良くないかをるる述べているだけになってしまった気がするのでこのへんで。
ひとつだけ、くだらないことを書いておきます。「からだの相性ばっちりだよね」なんて理由で口説かれたことがあるのですが、重要な要素ではあるものの「なんだよそれ」とつい笑ってしまったことがあります。それだとからだしかほめてません。ほめ言葉というのはほめた対象物以外はアウトオブ眼中ってかそういう印象になってしまうので難しいよなあ、とおもうのです。恋文はもちろんのこと、口説くときとかのほめ言葉ほど難しいものはないと思ってるのですが、どうだろ。