ほめられた話かどうかは判らないけどある程度の男女経験があるんすが、裸になったとき未知の常識ってのにぶつかったことがあります。私の身体には思春期以降下半身の正面の一部だけ密林があります。剃っておいたほうがいいかもよ、というそれとなく半分冗談半分真面目に忠告を受けたことがあります。密林が無いわけでもないけどそこは深い密林というわけではなく、いわれた意味が判らないでいると、見た目の話と、相手とはじめてのときはその相手が誰と寝てるのかわからないわけで、密林にしらみがいることがあるのでそこをナチュラルにせず剃っておいたほうが良いという解説でした。その説になんとなく説得力があったのはビデオです。たしかに不特定多数と寝る可能のせいの高い男優さんに毛はあんまりありません。以降、下半身の密林に触る人になんとなく話すことはあるんすが人によってさまざまで、たくさんあるほうが情が深いはずだと断言する人もいるので、ほんとに誰にでもあるはずの密林における管理について常識というのがあるのかどうか、正直わかりませんってそれはともかく。
漏えいしてもいい個人情報を書くと、(不特定多数の関係を結んでいないものの)見た目を考えてナチュラルにせずある程度処理したりしますが、無毛地帯にはしてません。この密林の管理については人によって答えが違います。いま上を通過する人もそうなのですがそれなりに管理することについて勝負パンツを着用するのと同様「きれいに見せようとしてやってるんでしょ、そういうのはうれしい」という考えを述べる人はいます。ちゃんといえば他人には考えがある・行為のうしろになにかしらの意図がある、ということを読み取ることのできる人ってのはいます。そのときはあまり問題は起きません。でも、剃る剃らないということを口にすると「フツー剃らないでしょう」と否定する人もいました。フツーってなんだよ、フツーではない相手を抱こうとしてるてめえはなんやねん!っていうツッコミはさておき、じゃあ「剃ったのはキライ?」とか「おれの剃ってみる?」と訊くと俄然興味を示したり・必ずしも持論にこだわらないのです。世の中には自分の考えが無い人がいるんだなあ、と思わされる瞬間です。自分が考えたわけではないことが基準になってる・他人の判断や言葉を流用することがその人の癖になってると言葉に確信というか根っこが無いから弱く思考がかりそめなのか、聞いていると意味不明というか揺らぐのです。また自説がなければそのことについて自分で考えるってことをしませんから、他人に考えがあるってことを思いつきません。でもってどっかからひっぱってきた「フツー」で正当化しちまい、否定してくる人はいるわけで。そのうちなんとなくあわなくなって、疎遠になっちまいました。
どこかから何かを引っ張ってきてはいるのはわかるのだけど・日本語で何かを言ってはいるのだけど・本人の考えはどこにもないってひとはいて、なんとなく苦手かもしれないと思ってて、克服できません。密林の話ならいいのですが、そうでない話でもどっかから持ってきたものさしでいわれちまうことがあって、なんとなくついてゆけないかも、などと思っちまうことがあったりします。一般的にとか誰それが言ってたとか、そのたびにああ俺は一般じゃねえんだなとか、この人は価値基準が身の回りにあって同調しないと不安なんだなとか考えるんすが。よくあるフツーとかってほんとなんなんすかね。もしかしたらわたしがあまり考えずに世の中にある一般的なこととか「フツー」ってのを理解できたら、すべてが解決するのかもしれませんが。でも社会人になってからずっと考えさせられることが多いまま生きてきたので・おのれの考えとか行動を放棄することに近いので、できそうになかったり。