しらがみ

私は全く敵がいないかというとそんなことはありません。経験則などで「(できそうにないことをさもできるかのように計画ほどバカげたことはないと思ってて)それは難しいかも」と事例を踏まえて簡単に口にしてしまうので場合によっては計画を立てた人の面目を潰すこともある・敵もどきをつくっちまうことがあるからです。作成者が「正しい」と思っても厄介なことにそれだけでその案にはついていけないとき・誰かが言う正しそうなものに違和感があるとき、その違和感は「正しくないもの」ととられかねないのでけっこう勇気がいりますが、まあ俺はバカだしい・頭よくないしぃってのが根底にあるのでいってしまって誰かの面目を潰してしまうのです。あんまりいい顔されないのですが、別にいい顔することで金をもらってるわけではないし実行する段階で自分がかかわることになる場合は周囲のことを考えて抵抗するときは抵抗します。もちろんこちらがなにかするときにイヤミを云われたりしますが、その前に根回し(アドバイスを貰うことも含む)をすることもあったりします。でもって人というのは根回し・軋轢がありながらも「文句が出にくいまわりから受け入れられる」ような実現可能なものをつくることがあります。おそらくしらがみというのはその軋轢であったり、「まわりから受け入れられるようなもの」を作り上げる協力者であったりするのではないか、と思っています。ほんとはは違うかもっすが。
政治の話は得意ではないのでへたなことはいえませんが、都議選のときに通勤に使う駅頭で「しらがみがない」というようなことを美点のように述べてる人がいて、以来「しがらみ」ってなんだろ、とか考えてるのですが、答えがでるようででません。公職の立場を利用して不当に特定個人・団体のみに利益を与えることは誰でも厳に慎まなければならないのは当然であるとしても、個人的にはあちこち調整したりいろんな過去・経験を背負って動いている人の方が信頼できるよなあ、とまたしらががちょっと出て来たくたびれた労働者はふと思っちまうのですが。