愚者の日常

「する」と「なる」は違います。「どうするか」というのは考慮の価値があって悩むのですが「どうなるか」なんてのはほんと悩んでもどうにもならんことです。それがわかってるのですがどこか愚かなので、ある選択をして、どうなるか、なんてことを考えちまうのです。その選択をするまでに意見を訊いたり根回しをしたり、わかるところとわからないところをはっきりさせ対策を打てるところは打ってはいるんだけど、「成功させなきゃいけない」みたいな使命があるとき、失敗しちまうのではないかという恐怖です。なんらかの拍子に弱気になって(「失敗も許されるかも」なのとわかってるのだけど)やはり怖くなることがあります。顔に出したらついてきてくれる人もいなくなるので表面はいつものままですが。
忙しいのと、重圧のある時に、なるべく「これくらいダイジョウブ」ってのをおのれに言い聞かせますが、そうしないとおのれももたないです。以前にもしんどいことを越えた経験があるから、いまがしんどくても越えられないわけではないだろう、という目測です。愚者は経験に学ぶってのもありますが、愚者ですからあんまり気になりません。今週、実際にひと山越えたので「これくらいダイジョウブ」って目測はたしかに間違ってませんでした。おそらくもうちょっとしんどい日が続くのですが、ダイジョウブと思ってればなんとかなるかもしれません。でもそんなに甘くはないかな。