0増5減

選挙制度についてなんべんか書いてるので、念のため付記しておきます。


1票の格差の訴訟はいままで実はあちこちで提起されてて、憲法法の下の平等というものを踏まえると投票価値というのは重要なテーマで、やはり格差があるってのはまずいのでは、という疑義が昔からありました。でもって09年夏の衆院選で最少の高知3区(土佐清水市ほか)と千葉4区(船橋市)との間で約2.3倍の格差があったのですが、この選挙についての無効を求める訴訟があって、2011年3月23日に最高裁大法廷で、約2.3倍の格差について「憲法の要求に反する状態に至っていた」 という判断をが下しています。理屈の上ではたしかに一票の重みが一対二以上に広がると(一人に二票与えたのと同じになるので)投票価値の平等・法の下の平等がは守られません。ですから、すごくわかりやすい判決です。なお選挙自体を無効とはしてません。

その訴訟がけっこうでかいのは「1人別枠方式」の否定です。衆院小選挙区は、総定数300のうち各都道府県にまず一議席ずつ配分し、残り253を人口比例で都道府県に振り分けて区割りを決めていて、たとえば高知は77万で+2で計3議席、千葉は602万で+12で計13議席です。今回の最高裁の判断で、この制度について格差の主要因としてて「1人別枠方式と、これに基づく区割りは投票価値の平等に反する状態」としてます(つまり、遠回しに「そんなんやめなはれや」といっています)。

この「1人別枠方式」はかならずどの都道府県からもその県単位から複数人の代表が出ることを保証するシステムです。で、別枠方式が中選挙区時代から小選挙区制に移り変わる激変緩和措置として合理性があった、としつつも人口の少ない県に多めに定数が配分されることになっちまうので、前にも少数意見として「正当性を認めることができない」というのがありました。たしかに通常の普通選挙といった場合、できることなら憲法を踏まえて投票価値の平等は守られてしかるべきでしょう。政治的に等価値な個人の意思の積み上げによる意思決定がが民主主義の基本であるべきだからです。去年の判決が少数意見でなくなったところをみると裁判官の考え方は投票価値平等路線に軸足を移してるとみてよいでしょう。

で、いまやってる0増5減というのは1人別枠方式の延長線上にあります。去年3月の判決をシカトしてるので、おそらくひま…じゃねえ、真面目な弁護士さんは違憲じゃないか、ってまた訴えてくるかもしれません。できることなら裁判所がその違憲の判断をする前になるべく早い段階で1人別枠方式に代わる選挙制度を変えられればいいのですが、なんかこう、第三極だとか南極二号だか知らないけど、ぜんぜん詳しくない議員さんが当選する確率が高いのですごく難しそうな気配がしてならんかったり。