選挙制度についてなんべんも書いてますが、ちょっとだけふれておきます。
1票の格差の訴訟はいままであちこちで提起されています。憲法のなかには投票価値の平等をうたったものはありません。だだし44条によると性別とか財産とか個人がもってる条件によって選挙権を差別してはダメで、また14条の法の下の平等というものを踏まえると投票価値というのは重要なテーマで、やはり格差があるってのはまずいのでは、という疑義が昔からありました。でもって09年夏の衆院選で最少の高知3区(土佐清水市ほか)と千葉4区(船橋市)との間で約2.3倍の格差があったのですが、この選挙についての無効を求める訴訟があって、2011年3月23日に最高裁大法廷で、約2.3倍の格差について「憲法の要求に反する状態に至っていた」 という判断をが下しています。理屈の上ではたしかに一票の重みが一対二以上に広がると(一人に二票与えたのと同じになるので)投票価値の平等・法の下の平等がは守られません。ですから、すごくわかりやすい判決です。この訴訟がけっこうでかいのは「1人別枠方式」の否定です。衆院小選挙区は、総定数300のうち各都道府県にまず一議席ずつ配分し、残り253を人口比例で都道府県に振り分けて区割りを決めていて、たとえば高知は77万で+2で計3議席、千葉は602万で+12で計13議席です。今回の最高裁の判断で、この制度について格差の主要因としてて「1人別枠方式と、これに基づく区割りは投票価値の平等に反する状態」としてます(つまり、遠回しに「そんなんやめなはれ」といっています)。なお選挙自体を無効とはしてません。行政処分にまつわることで、「ある行政処分を取り消して欲しい」という訴訟があった場合に、それが違法であったとしてもほんとに取り消してしまうと公益上好ましくないかもしれないというヘ、じゃねえ、理屈に基づいて判決を下すことを事情判決の法理というのですが、選挙自体を無効にしてしまうとその選挙の結果選ばれた代議士による議会の正当性、その議会で成立した法案や予算案についても有効性を問われかねないので、国会議員を選ぶうえでの一票の価値についての訴訟で事情判決の法理をつかっていままで選挙を無効にしたことはありません。
去年冬の衆院選については修正があったものの1人別枠方式を基礎にしたままであり、また一票の価値が千葉4区と高知3区の差が最大2.43倍になっていて、やはり一票の価値について争いがあり、今日格差が2.33倍であった東京1区(新宿区他)の選挙について東京高裁で判決がでました。「著しい不平等状態が認められ」選挙は違憲と判断し、しかし選挙そのものは有効という判断を下しています。おそらく最高裁での判断を待つことになるかと思いますが、違憲判断もしくは違憲状態の判断がひっくり返ることはないかもしれません。
くりかえしますが現在否定されている「1人別枠方式」はかならずどの都道府県からもその県単位から複数人の代表が出ることを保証するシステムです。で、結果として人口の少ない県に多めに定数が配分されることになっちまうので、以前から「正当性を認めることができない」というのがありました。たしかに通常の普通選挙といった場合、できることなら憲法を踏まえて投票価値の平等は守られてしかるべきでしょう。政治的に等価値な個人の意思の積み上げによる意思決定がが民主主義の基本であるべきだからです。あるべきなんすが、人口が多いところに多くの代表を置いたとき、人口の少ない地域の意向を如何にすくい上げるか、という問題に直面します。
なんべんも繰り返して恐縮なんすが、民主党政権のとき「沖縄の基地問題は国民の生活には関係ないことだから」という関東の代議士がいて、県内に基地を抱える自治体議員が猛抗議し発言を撤回させたことがあります。その顛末の映像をみて、民主党の体質に問題をすり替えてしまうことも可能ですが、そういう問題でもないような気がするのです。選挙で選ばれた人はどの選挙区にかかわらず全国民の代表であるべきなのですが、なかなか困難で、人口の少ない地域固有の問題を、どう国政に反映させるべきなのか。人口の少ない地域の代表を減らし、人口の多い地域に多くの議席を配分することで解決するのは難しいのではないかと思えるのです。
1人別枠方式をやめ、ほんとに一票の価値の平等をどんどんつきつめるだけでいいのか、というと、私はちょっと答えがでません。どうやったら制度上いいのか、というのもまた、答えが無いのですが。