大人の対応

嫌いな言葉ってのがあって、「運命」ってのが好きになれません。いまだに覚えてるのですがある状況に陥ったとき「あなたの身に起こったことは運命だから」ってなことを云った人が身近にいて、それを受容せよ、ってなことを遠まわしに云ってきた人がいました。たぶんその人にとってみたら同じ状況になったら「運命」という処理の仕方が一番手っ取り早い世界の理解の仕方なんだと思うのです。親切で言ってくれてるのはわかってたのですがなぜか同調できず、咄嗟に運命だとは思ってないですし、運命だとしても意地でも抵抗しますってなことを口走った記憶があります。全部「運命だから」って言っちゃったら、そこに自分の意思が無くなっちゃうのが嫌なんすよ。つか、耐えられない試練なんてないはずだしそもそも「運命」のようなものが仮にあったとしてもそちらへ無抵抗に流されるか頑なに抵抗するか、ってのは決めるのは自分のはずなのです。そこらへんのこと、たぶん、わかってもらえないだろうなー、と思いながら信条を述べたんすけど。
でもあとあとよく考えたら、自分のこの対応は大人の対応だったんだろうか、と思ったり。社交辞令で仮面かぶってそとづらよしおさん的に相手に合わせ「そうですね」とでもいったほうがよかったのかも。


譲れない線ぎりぎりのところでの「大人の対応」って難しいなーと思うことがおおいっす。