日焼け1(23日補充)

この夏、日焼けしませんでした。旅行先では雨ばかりでしたから比較的色白のまんまです。海辺で日焼けして小麦色の肌に真っ白なパンツ跡クッキリ!なんてのもないです。ちなみにその日焼け差を見せる相手もいません。

いまかいてて自分でも変だな、と思ったのは、内心ちょっとだけ、日焼けをみせるシチュエイションに憧れるとこあるな、と思いました。ビキニじゃなくてもいいから海水パンツを微妙なところまでおろして真っ白な部分とそうでない部分を対比させ誰かに見せるってことです。

たぶん自分が誰かを「欲情させられる存在か否か」ってことを確かめたいのだと思う。

思い出したのは、ことが終わってシャワーをってときに、先に歩き出したこちらの後ろ姿をみて壁際から「なんだかエロい」と彼が云って、それを未だに記憶してるのですが、ようは妙に嬉しかったわけです。それは男としてどうよ、って思ったりはするのですが、後姿ですら欲情されるっぽいってのが判って安心した記憶があります。

他の人がどうだか判らないものの自分が「欲情される」か「欲情されない」かのどちらかの存在だとしたら、できれば「欲情される」ほうにまわりたい。そこらへん、いまだ変わってません。でも、それってある意味奇怪なことなんかな、と思うんすけども。
自らの容姿に自信があるかどうか、と云ったらないんすよ。全然男らしい体型でもなく女の子みたいな柔らかな胸もなければ丸みを帯びてる体つきでもないです。他人に欲情されるかどうかってのは、ちょっと不安が有るわけです。だから確認したい、と、どこか思ってる、と。

もっとも「海水パンツをちょっと下げて日焼けしてるところとそうでないところの対比を見せる」シチュエイションで仮に他人が欲情したって、それが自分の身体に対してなのか、それともそのシチュエイションに対してなのかってのは怪しいところがありますから、確認しようにも徒労って云えば徒労なんすけど。

で、ここらへんほんと自分でも変かも、と思っているのは「欲情されたい」というのと同時に自分で挑発するような、上にあげた「海水パンツをちょっと下げて日焼けしてるところとそうでないところの対比を見せる」みたいなちょいエロって姿勢をとることに抵抗がないところです。博打的恋愛体質ってのと関連してくると思うのですが自分が相手の行動を期待してちょいエロな行動に賭けることにいくらか躊躇がない、ってところはあります。ただし、欲しい、とかを口にすることは相当抵抗があるんすけど。

(追記)
いま記事を読み返してて思ったのですが、「欲情される存在」で居たいと思ってて、なおかつ、自分でセックスなりなんなりをしたいという意思表示をどこかするってのは、世間の規範からすれば、ひょっとして色情狂なんすかね。
でも、そうやって生きてきたんすよ。
なんていえばいいのだろう、社会人になってからこっちそんなふうな意思表示をしょっちゅうやってきたわけっす。相手に信用置ける相手って思わせながら呑める条件と呑めない条件の擦りあわせをしながら最大限できることをしてきました。だからセックスでも相手にどこか好まれるように努力して、時には自分がしたい、っていう意思表示ってしてきたつもりだったりします。
もっともそういう意思表示をしても海でへとへとになるまで遊びたおした挙句の果てに相手が風呂はいってる間に眠気が押さえられずに寝ちまった前科はありますが。