たぶん思春期のころの影響って大人になってもあるんじゃないか、と思います。実は勝負強くはありません。勝負弱さは昔からで、中学のときに野球で打順が回ってきてせっかくのチャンスを生かせなかったときの周囲のため息なんてのはなぜか耳にこびりついてて、そのときからか、ここぞ、というときに失敗するのが怖かったりします。ここぞ、というとき以外でも失敗って怖かったりします。その失敗を恐れる怖さをどうやったら克服できるかってのはもうずっと昔から考えてることなのですが、根本的なものはぜんぜん思いつきません。


ひねくれちゃったなーと思うのは、失敗したときに糾弾とかため息なら経験してくうちにちょっと慣れちまってるのですが、ヘタになにかを慮って云われるよりかは黙っててもらったほうが気が楽なんだよなー、なんて思うようになりました。
失敗したときの敗因のようなものを自己分析してるときに、まあ、いろいろあるから、とか、大変ですねー、残念だったねー、なんていわれると、はあ、大変でした残念でした、いろいろありますね、で受け流すくらいには大人になったのですが、声を掛けてくる人の何割かはどうも失敗を「恐ろしいこと」「出会いたくないこと」というふうに捉え、失敗した人を「かわいそうに」って思ってるフシがあります。見えない線があるというか、「絶対安全地帯」から「失敗したこっち」へ批評的になにかを云ってるよなー、といえばいいのかもっすけど。もっとも「見えない線」っていっても、私が勝手に意識してるだけでそんなもの無いのかもしれませんが。
なぜかそれが腹が立つというか、なにをわざわざ云いにきてるんだろう、ってなことがあります。ただ、その行為が失敗したほうにとっては失敗の再確認に過ぎず傷口に塩辛を塗られるようなことに過ぎないとしても、えてして善意の発露であったりするので、つっけんどんに対応すると余計こじれちまうんすが。
でもって最近そんなことをごちゃごちゃ考えるようになっちまったせいか、誰かが失敗しても効果的な、かける言葉ってのも思いつきません。



同類というか、失敗を恐れてるんじゃないか、ってな人の傍に行くと、空気でわかることがあります。で、そういうとき、なにか効果的な励ましの言葉を掛けたほうが良いってわかってても、思いつきません。せいぜい、神様のご加護がありますように、とか、成功を祈ってるよ!ぐらいしかいえないっす。

最近、ほんと肝心かなめなこと・言葉が思いつかないことばかりの脳足りんだよな、って自らを省みるとおもうんすけども。