名古屋は名古屋独特の言葉があります。けっこう戸惑うのは「ちんちんに」という形容詞です。「ちんちこちんに」ともいい、「ちんちんにわいとるがね」などのようにお湯(に限らず金属にも使う)などが「非常に熱い」という意味です。正直、意味がとれなかったので、訊いた記憶があります。その言葉を口にするのには抵抗があったことも告白します。でもって天気の「暑い」にはおそらくつかいません。標準語では「ちんちんに」に対応する表現は思いつきません。名古屋は繊維や部品製造の工業都市ですから加工などで必要があってその言葉が生まれたのかなあ、と思っています。
私は教職をとらなかったので決して人に教えるのが巧いほうではないのですが、人に教えていたときにつくづく感じたのですが、「ちんちこちん」に限らず知らない言葉というのをいうと・書くと、そこでストップしちまうというか、進まなくなることがあります。めんどくさいと思って放置すると・されてしまうと、そこから誤解が生まれて、さらにめんどくさいことになりかねないので、なるべく他人が知ってそうな言葉、というのを書くように・いうようにしています。判らない言葉があったら、訊きにくいだろうけど遠慮なくその場で解決してね、とも言ってました。加えて異動してからこっち、違う分野の人と仕事で協議しなくちゃなことがあって、そのたびに住む世界が違うと言葉がちがって、共通認識が形成されないとあとでややこしいことになってしまうことがあったので(そのたびに唸らされて一時的に眉間にしわがでた)、けっこう敏感になってるとこがあります。でもって言葉というのはボールペンでつつくビー玉みたいなもので、最初は伝わったと思ってもそのうち意図しない方向へころころってころがってゆく印象があります。つねに、とまではいわないけど、自分の言葉は他人にはちゃんと伝わらないかもしれないなと思うことが多いし、つねに他人の言葉を理解してる・できるとはおもってないところがあります。だからこそ、わりと誰にでもわかるような言葉、というのを意識してるのですがそれでも巧くいかないことがあったり・そもそもこのテイタラクなのでぐうの音も出ないのですが。ぐう。
言葉というのは何割かは他人と共有することに目的があります。曖昧をなるたけ排除して、明確になにかを伝達するために言葉があったりすることがあります。ですから、最初に戻ると状況を示す「ちんちん」というのがあったりします。炎天下で実物を触らなくても「暑いでよ、トタンがちんちんになっとるがね」といえば一発なのです(あついからトタンがあつくなってるよ、ではあいまいになる)。
世の中につらたんとかまんとなんとか誰にでもわかるわけではない略語があって、みかけるとああおれは世の中から遠いところにいるんだなあ、という意識があったりします。イラッとしちまうのは暑さのせいではなく誰にでも伝わることを前提にしてない言葉だからで、そこらへんがダメなのは俺が苦労してるのに他人は苦労してないんだなというのを許容できなくなってるところで、スラングを許容しにくくなってる時点でもう若くないんだなあ、なんてのを実感しちまったり。