阿蘇へ

お休みを貰って九州へ行っていました。
○遡及日誌第一日目
[虹の松原]
唐津佐賀県の北部にある小都市で、窯業の産地であると同時に虹の松原というところがあります。

散策したのですが誰もいなかったのでプライベートビーチ状態です。でもって海水はちゃんとしょっぱかったことをご報告申し上げます。

白砂の広がる海岸のすぐそばに江戸期に唐津藩が防砂のために植えたクロマツの林がおよそ4キロほどそのまま残ってて、中は散策も出来ます。ただしどこらへんが虹なのかは最後までわからず。
福岡ドーム
唐津から筑肥線経由で唐人町へ行き、そこから福岡ドーム

ドームの隣の高層ビルがホテル棟で手前のイモムシ状のところがガラス張りの天井の高いアトリウムでコーヒーハウスになってます。いまはヒルトンになっちまいましたがシーホークという名前だった頃のはるーか昔にいちどだけ会社の先輩と入ったことがあって、印象深かったのでもう一度再訪しました。さすがに写真は自粛。
さらに福岡ドームのバックステージツアーへ。

福岡ドームブルペン(投球練習場)が別の部屋にあります。神宮のように見える場所にはないので相手チームには誰がウォーミングアップしてるのかばれない・観客も誰を投入するのかなというのを想像する楽しみがあるという利点があります。カメラが付いていてブルペンの状況はベンチからのみ確認できます。でもなんだろ、客席から見えたほうが面白そうな気もするのですが、ここらへんはすきずきかも。

ビジターチーム用のロッカールーム。ダルビッシュ選手は以前はここで着替えてたわけですね。でもってけっこう簡素な作りです。だいたいの傾向としてどのチームもベテランは奥のほうを、若手は入口のスペースをつかうのだとか。

で、どの球団の誰がつけたか謎の歪みがあったりします。おそらくバットで打ったのではないか、とされてるのですが悔し紛れであればホークスにとっては極めて名誉なことなのでそのままらしかったり。

ダグアウトにも入ってきました。星野監督の蹴っ飛ばした跡とかないのかな、などと探したのですがさすがにそんなものはありませんでした。

さすがにマウンドなどには近づけないのですが、そのかわりハリーくんのぬいぐるみを借りて記念撮影。写真ではわかりにくくて恐縮ですがハリーくんの手の先に福岡銀行が広告を出していて、広告に打球が当たると福岡銀行からボーナス100万円で、過去4回あったというのですが、けっこうな距離です。あそこまで飛ばすのかー、すげーよなー、と野球選手のすごさにあらためて呆然としちまったり。

去年引退した小久保選手の手をドームの外で発見。近鉄なきあとあんまり野球に興味を持たなくなっちまったのですが、小久保選手は気になってました。無償ドレードやケガなど波乱があったのですが乗り越え、まわりをまとめてチームを引っ張り、なおかつ実績を残して努力を怠らないその姿勢って、やはりすごかったと思います。鷹党ではないけどホークスは良い選手に恵まれて、良いチームであるよなあ。
[天神周辺]
バカだなあと思いつつ、紹介したかったのでパルコのかっぱの泉へ。

噴水なんすけどここが好きで、仕事で来たときにもこっそり寄ってました。福岡に来るとかっぱに逢わねば気がすまないというか。ここらへんちょっとバカかもしれません。

もうひとつ、アクロス福岡という商店街と貸会議室と音楽堂がある半官半民の建物なのですが、南へ向かって階段状に切り取られ、その階段状の部分を緑化しています。

四角い立方体の建物のほうが効率はいいし安くつくはずなのですが、効率と関係なく建てたのが勇気あるなあと。ちなみに緑化部分は登れます。ただこの日は暑かったので回避しました。福岡市の凄味というのはこういう建物が存在してるところだと思っています。そういう気風のまちなのかもしれません。
この日は熊本に移動して、熊本に宿泊
○遡及日誌第ニ日目
豊肥線
この日は阿蘇へ。

正直阿蘇に興味があったか、というとありませんでした。ないのだけど、途中豊肥線の立野という駅で「しばらく停車します」のアナウンスのあと運転台から運転士さんが降りてうしろへ行き、逆方向へ動きはじめたところで完ぺきに目が覚めました。山中に入るにあたり勾配がきついので、いっぺんに登らずにスイッチバックする区間だったようです。

写真右からエンジン全開で登ってきて、いったん停止し後部から運転士さんが戻ってきて、ポイントが切り替わったら左へ進路をとります。立野駅周辺でこれを二回くりかえし、阿蘇の山中への分け入ってゆきます。
阿蘇
よく阿蘇山という云われかたをしますが厳密には阿蘇山という山はありません。

杵島岳をはじめとした阿蘇五岳とよばれる山(中央火口丘)が真ん中に5つあり(上の写真の山々は阿蘇五岳)、

その周りを120キロほど外輪山とよばれる山脈がが連なります。それらを総称して阿蘇山といい、もともとは大きな単体のひとつの山であったと思われますが、30万年前から9万年前にかけて大噴火(4回ほどあったと推測されてます)があり、山の地下にあったものがすべて放出された結果ベこんと凹んで現状のようになり、そこに水が溜まってたと思われますがおそらく浸食などがおこり決壊し現状のようになったとされてます(さきほどの立野駅周辺だけ外輪山が途切れてる)。英語でcaldera(カルデラ)というのをおそらく高校くらいでやったはずですが、阿蘇カルデラともよばれます。

中岳方面への登山バスの車窓から牛が見えました(実は牛というのを間じかに見たことがなかったので子供みたいにカメラを向けて撮った)。牛馬の畜産業が古来よりわりと盛んらしく(馬刺しは熊本名物です)、そのほか稲作も行われています。ただ隣県の鹿児島は姶良カルデラの火山の影響でシラス台地が広がり稲作に適してないところがあるのと比較するとちょっと不思議です。噴出物がちがうのかなあ。また植生も草原がけっこうあるのが気になってました。木があまりないので土壌は酸性は強いのかも(イチゴが名産物なのでおそらくそうかなあ)。でもってさっきまでのめんどくさい感が消え、雄大な景色を前にちょっとテンションが上がってました。

いわゆる草千里とよばれる草原があります。

そこにいた牝馬さん。なんだか美形だと思いませんか。
[中岳火口]
阿蘇は活火山です。

中岳というところの火口を覗くことができます。ただし火山ガスの状況により危険があると立ち入り禁止にされます。この日はダイジョウブだったので、のぞくことができました。火口の底に酸性の湯が溜まってて、湯気の向こうに「湯だまり」が見えます。現況は写真のとうりなのですが一昨年に小規模な噴火があったときくと、ああやはり活火山なんだなあ、と。ただし溶岩流が流れ出るようなものではないのだとか。

火口のすぐそばにある砂千里というところ。

大正時代の噴火口のそばで火山弾(流動性のあるマグマが噴き出たあとに固まったもの)がそのままに。

おそらく過去の火口跡です。なんだか想像を絶する不思議な光景だなあ、と思ってしばらく動けませんでした。

動かない、ってわけにもいかないので午後の飛行機で帰京しました。次の日しんどくなかったか、と云ったらさすがにしんどかったのですが、後悔はしてなかったり。