琴平に行ってました。

最初に金刀比羅宮へ。

本宮から讃岐平野を見渡せるのですが、天気はあまりよろしくなかったのが残念。

門前町からちょっと外れたところにあるのが旧金毘羅大芝居です。天保6年築(1835年)のおそらく最古の芝居小屋です。もともとは金刀比羅宮の持ち物でしたが明治時代に金丸さんという人が所有権を得てから金丸座ともよばれるようになりました。いまでも4月に歌舞伎興行が行われます。先人がなにを考えていたかが想像できる興味深い建物です。
たとえば

義経千本桜の狐忠信などを演じるときにつかわれる「かけすじ」という宙吊りの装置なんすけど、その後ろ、竹で編まれてる格子状の網目があるんすが(通称ぶどう棚)、そこから雪(紙吹雪)を降らせることが可能です。舞台に雪を降らせることは浅草公会堂や歌舞伎座でもできますが、客席に降らせることが出来るのはいまはここだけです。金丸座は江戸時代の大坂にあった浪花座を模して作られてるのですが、江戸時代には客席にも雪を降らせ、舞台と客席が同じような空間を共有していたのかもなんすが。

花道から舞台を眺めたところです。舞台は一部が廻り舞台になっています。浅草公会堂も歌舞伎座も歌舞伎関係者じゃないと花道は歩けませんが、金丸座は花道を歩けます。この下は奈落(舞台や花道の下にある床下)があり、花道の途中に「すっぽん」とよばれる切穴があり、奈落からスライド状に「すっぽん」をつかって役者がせりあがることができます。

花道の下の奈落部分です。花道の下で空間がありますから花道の上で意図的に足を踏むとちゃんと響きます。歌舞伎がかかるとここを役者が右へ行ったり左へ行ったりと縦横無尽に駆け回るはず。

舞台に下の奈落部分です。踏み台が置いてあるあたりに役者が舞台に上がるためのスライド式の「セリ」があります。「セリ」も「すっぽん」も「廻り舞台」もすべて人力です。

長方形の部分が舞台上の「セリ」です。ここから役者が奈落から登場することができます。これらの機構を芝居好きがよってたかって作り上げたかと思うと、江戸時代って娯楽にも一生懸命だったんだろうなあ、と。

平成になって耐震補強工事を行っていて、鉄骨などが入っていますが目立たぬ工夫がなされています。でもって写真の御簾の右側に柱がありますがなんとなく傷が多いように見えるのですが傷ではありませんで

もともと金刀比羅宮が作ったものなので宮大工が造作を担当していて、釿(ちょうな)という工具で木をはつって俗に名栗とよばれる加工を施してあってその痕跡です。念のため書いておきますが、舞台の袖の柱であって誰もが目にする・気にするところではありません。でもこだわってるのです。意地というか宮大工の心意気に唸っちまうのですが。古い部材が残ってるので「湿気がそれほどないのですか?」と管理事務所の方に訊ねたらそんなことはないそうで、金刀比羅宮は山にありその麓で湿気に悩まされてて、湿気のための除湿換気システムは導入済みであるらしかったり。

琴平には温泉があります。一緒に行った上を通過する人は四十肩が完全に治ってなくて、ちょっと温泉に入っただけで肩がなんとかなるなんてことは絶対ないのですが、患部を温めるのは悪いことではないので温泉に入りました。もちろん琴平じゃなくてもよかったのですけど、東京を離れちまえばやはり気分転換にはなったようで。人間、非日常に浸かることって、もしかして重要なんじゃないかとって、そんなことないか。
翌日はことでん高松市内へ

栗林公園なんすけど、けっこう広大な庭園でまともに見学すると1時間くらいかかります。個人的には2回目だったのですが、あまり記憶がなかったので興味深く見学しました。不思議なのは栗林の名前なのに栗は植わっておらず、松が主体です。松は(燃料にはなるものの)手入れに手間がかかるので金食い虫で、それをたくさん植えるのはほんと道楽でしかないのです(おそらく財政が豊かだったのではないか)。でも庭園も松もたしかに見応えはありました。

うどん県なので、うどんも食べました。味付けこんぶの天ぷらがトッピングが可能なのでそれを食べたのですけど、味付けこんぶを天ぷらにするその発想にちょっと脱帽しました。美味かったです。