「かわいい」に関する反発と雑感

いちばん最初に対人評価としての「かわいい」という言葉に抵抗を持ったのは、高校生のときに年下の後輩から頭をとっさに撫でられながら「かわいい」という言葉を投げかけられたときのことです。かわいい、ってのは褒め言葉なんだろうけど、私にはなんとなく未熟なところがあることに対する指摘に思えました。たいていかわいいっていう表現がついて廻るのはえてして成熟してない動物だからです。
ネット上の友人から猫とかの子供のかわいさはある種の武器であって保護欲を駆り立てるために可愛く感じられるような容姿をしているという(私の記憶が間違いなければそういう趣旨の)説を聞いたことがあるのですがこれが妙に腑に落ちたことがあります。子猫なら別論として、かわいいという言葉の影には強者と弱者のあいだにある保護する保護されるという関係、つまるところ「かわいい」という言葉を発する側の「上から目線」があるんじゃないかな、という気がしてならなかったりします。それに抵抗をうっすら感じてたというか、云われるほうからすると保護されるつもりはないのに保護したいくらいだっていう意思表示に反発してた側面もありました。
かわいいって言葉はものっそいろんな意味合いをもちますし、もちろん女性に対しては褒め言葉なんだろな、とおもったりはします。でも「かわいい」っていわれることがあってもなんかこう、褒めことばっていうふうにはなかなかとれませんでした。さすがにもうかわいいといわれる機会が年齢的に少なくなったので、こうやって冷静に書けることですが。


もっとも彦根市在住のひこにゃんとか高松市在住のことちゃんを「これ、かわいい」って云うとき、自分が感じた快い胸騒ぎを外にだしたくて、たいして考えずにとりあえずの意思表示として「かわいい」という表現を使ってるとおもいます。だから「かわいい」って言葉には時と場合によってはほんと軽いものなんだとおもう。もちろん誰かを口説く時には重い言葉になりえはしますけど。


余談ですが、いわゆる萌え系がもてはやされたりかわいい動物の写真が溢れてたりとかかわいいものが街中に溢れてるんすけど、なんでそんなことになったかを考えるとき、えてしてかわいいものは抵抗しないし反発しないので自分の与党を増やすという感覚なのかな、と思ったりもしたのですが、これは私が「かわいくないなー」って「かわいい」と同じくらい云われたせいかもしれません。たぶん、かわいいものって抵抗とか反発って言葉と無縁なのかな、と思ってます。相手が「かわいい」というニュアンスのことを云った後にその期待を裏切るよなことすると絶対「かわいくない」っていうんすよね、なぜか。たぶん、容姿のほかにも従順さってのも「かわいさ」の要素なんじゃないかな、と思ったり。