刑法第41条は「14歳に満たない者の行為は、罰しない」としていて、14歳未満の未成年を刑事未成年者として扱い、刑法に触れる行為をしたとしても処罰をしないという原則をとっています。14歳未満は心身発育の程度を問わずに責任無能力者として扱われ(一人前として扱わない)責任をとえないので犯罪が不成立であり処罰が出来ない、という理屈です。14歳になると責任があるとされて刑罰を科すことができます。ただ14歳未満でも少年法により触法少年というカテゴリを作ってまして、刑法に触れる犯罪を犯したならば家庭裁判所の審理によって保護処分に付すことが出来ます。これは刑罰ではありませんで、制裁には変わりありませんが、教育や治療というニュアンスが多かったりします。
で、今、現在国会で14歳未満でも刑罰を科そうじゃないか、という意見があります。少年犯罪が凶悪化したり陰湿化したりしてるからでしょう。未成年の犯罪の抑止のために、という、およそ目的はわかるのですが、はたしてそれが正しいことなのでしょうか。また、刑事罰を科すことで、社会から排除してしまって良いのでしょうか?
刑罰は本来責任意識があって、最初っから犯罪行為について責任を問い、批難として刑罰を科します。ところが、14歳未満の場合必ずしも責任意識というのはあるとは限りません。大人と同じ刑罰を科してもよいのでしょうか。
よく考えてみていただきたいのは、少年少女の場合はその行為によってどういう影響が被害者や周囲に対してでるかなどは普通考えないと思うのです。またその行為をしたことにより実際にはどのような制裁が加えられるかとかなどは考えていないでしょうし、メリットデメリットなどの緻密な計算などしないどちらかというと幼稚な「ブレーキのない犯罪」であるはずです。また、思慮に欠けてて当たり前の存在でしょう。14歳未満が成熟して無いからこそ大人顔負けの犯罪をもおこす事があります。仮に知識として制裁の内容を知っていても自らを律する意識として定着しているかははなはだ疑問ではあるのですけども。
大人と違い、行動の抑制が必ずしも期待できないとおもうのです。衝動的な犯罪についてはおよそ刑法がいくら厳罰化したところで、大人でさえ実行してしまうのですから、子供ならなおのことです。
にもかかわらず、刑罰だけ大人扱いして良いものなのでしょうか。
被害者感情からすると、確かに大人が殺人を起せば最高刑が死刑ですが、子供が殺人をしても形式上は罰しませんし、死刑にはなりません、というのは反発を招きやすいでしょう。
過ちを行為者に対して認めてもらうのは重要だとおもうのですが、行動の抑制が困難な未成年に対して大人と同じ刑罰を科す、というのは苛酷じゃないかなあ、と、素朴に思うのですが。
責任について述べれば自己責任原則というのは自己決定原則と一体でして、ある程度自己の裁量で選択して決定可能ならばそれは責任を問えるというか、えっと、子供がしたいことを大人が選ぶような社会では子供のしたことに子供が責任をとる、というのは実は少し筋違いなのです。子供がしたいことを大人でなく子供が選択して、それならばその結果については確かに子供が責任を負うべきなのです。教育制度を含めて必ずしも子供が自由に選択する場面がさして無い状態で、一応子供が選択したというカタチを形式上とってることが多いと思いますが、大人がそれを黙示的に強要してるのが現状だと思うのです(例えば高校大学の進学)。海外において少年犯罪に対して厳罰化がなされてるのは実は教育プログラムを変えて、子供の自己決定を限定的ながらも徐々にすすめてきたからなのです。しかし日本だとあらゆる場面で実質的に子ども扱いしていて、いろんな足枷をしておきながらそのような状況下で大人にとって都合の悪いものである子供の犯罪だけ大人扱いしようというのは、私は少しおかしいのではないかと思うのです。
ただし自己決定原則と自己責任原則を突き詰めていくと援助交際は子供が決めたことなんだからオッケイになっちまうので問題が無いわけではないのです。たぶん未成熟な部分があって、未成年の性的自己決定については多少留保をつけるべきなのでしょう。
もっとも、それを未成年側も罰則で、というのは馬鹿げてると思うのですが。