同性愛もフェチも社会に受け入れられない可能性が高いっていう点では小児性愛と近接します。
ただ同性に対して性的衝動を私は持ちますが小児には正直もちません。ですから、いわゆる小児性愛の人たちの性的衝動は判らないです。けど小児性愛は同性愛同様性的衝動を意思で抑制できても消すことができなさそうなものならば、抱えてる事情は大変なんだろうな、という想像はできます。つか、想像を絶します。リアルでの小児対象のセックスはどちらかというと否定されるべきものだからです。本来セックスはお互いが平等で強制されていないという前提があって相互に同意を経るべきもので、しかし小児の場合では大人との立場が違うために拒否の言葉がいいにくいだろうってのと、セックスをすることの負の部分が必ずしも理解してない可能性が高く平等対等になりにくいゆえ、否定されるべきものだからです。刑法が13歳以下とのセックスを問答無用で罰しているのはそこらへんの事情からきてるはずです。同性愛は非犯罪化されましたが小児性愛は犯罪に関わる社会の公秩序の問題と個人の性的な問題が関係してくるから(実際に手を出さなければ何の問題もないのですけど)性的に制限があって小児性愛の人たちは思いを遂げるのは困難でしょう。恋焦がれても成就までの困難さが同性愛の比ではないとおもいます。
で、小児性愛と違って同性愛やフェチは性的衝動を合意の許に相手にぶつけても犯罪にはならないけど場合によっては社会から見てその行為は「きんもー」といわれる確率が高いです。私は同性愛的なものを自分の中で否定することができませんでした。ただ、それでも同性愛的なものを消すことはできないとして集団の中でそれを表出しないように自分を作り変えてます。ゆえにリアルでは「きんもー」といわれたこともありません。たぶん、いろんなフェチをもったり真っ当な小児性愛者の人も同じで、性的衝動とどのように向き合うかというとことを考えて内なる問題を否定できなくても社会に溶けこむ努力をしようとかはおもっているとおもいたいんすけど、これは希望的観測に過ぎません。
児童ポルノ規制についてのエントリは読売の記事を読んでがきっかけだったのですが、公明党の考えを知ってからのほうがなんか変だぞ?という危機意識を感じてました。
「性犯罪者の4割は、子どもの写真やアニメを収集していたという調査もある。昨年、事故死した子どもの写真を無断でホームページに転載し、児童ポルノ禁止法違反などの罪に問われた東京都羽村市の元小学校教諭は、約80万枚もの子どもの裸や死体の写真をパソコンに保管していた。(略)アニメなどを児童ポルノの対象とすることには、「実在する被害者がいない」「表現の自由を保障すべき」との理由から反対論が多いが、犯罪誘発防止の観点から、アニメ大国の責任において積極的に議論する必要がある。」
2月19日付けの公明新聞より転載(チキンなので以前は割愛した部分です)
私が読み違えてなければ子供の写真の閲覧者やアニメ閲覧者が犯罪をおこしてる→アニメ等が犯罪を誘発してるのでは?だから根絶せよ、という論調です。今でもそれに対して違和感を持ってます。正直、いくらかの相関関係はあってもあまり因果関係があるとは思えないのです。「アニメを見て性的興奮を覚える人間」≒「アニメを見て性的欲望を覚えて実行に移す危険な人間」と捉えてるとしか思えず、そう考える背景に理解しにくいアニメやヲタク文化やセクシュアリティへの嫌悪感が無ければいいのですけど。
アニメを見て、欲情することは犯罪ではありません。アニメを見て欲情して犯罪を実行することがアウチなのです。私は腐でーすといってる人が妄想の中で中学生のキャラの服を脱がせて鬼畜な相手に攻めさせて「きんもー」といわれても問題にはならないのと同様に、小児とのセックスは犯罪でも小児へ性的な欲望そのものは犯罪ではありません。「子供に性的な欲望を覚える人間」が悪いのではなく、性的衝動とむきあって自制せずに「子供に性的な欲望を覚えて実行に移す人間」がまずいし危険なんすよ。それはアニメを絶やしても解決するのかいな、とか単純に思ったりするんすけども。むしろやるべきことは「子供に性的な欲望を覚えて実行に移す人間」に対してそれは非合法のことであることを知らしめて(タバコに警告文句を入れるのと同じくエロゲーのパッケージに警告文を入れるとか)抑止させることなんじゃないかな、と思うのです。理想論に過ぎないかもですが。