いとしと書いて藤の花

錦糸町に用があるついでにそれほど遠くない亀戸天神へ寄っていました。自力でがんばるけど菅原さんにお願いしたいことがあったのと、藤のお花見を兼ねてです。この週末は盛りのちょっと前くらい。

これからとてもくだらないことを書きます。

藤娘という長唄があります。長唄より歌舞伎の舞踊としての藤娘のほうが有名かもしれなくて、歌舞伎を眺めてるうちに長唄を知ったクチです。そのなかに

染めてうれしきゆかりの色のいとしと書いて藤の花

という部分があります。はじめて聴いて13年くらい経ちます。前半はともかくとして後半の「いとしと書いて藤の花」というのの意味が謎でした。「戀という字を眺めてみればいとしいとしという心」っていう都々逸がありますが、藤はどう眺めても・どう書いても「い」も「し」もありません。ま、古典のテストのない人生だし細かいところまでわかんなくて良いよな、と早々に原因究明を諦めて封印していたのですが、久しぶりに見た藤の花を眺めててふと思い出し、それをなんの気なしに口にしたのです。もちろん答えなど期待もせずに、です。

同行者は不思議そうな顔をして、「い」の字を縦に十個書いてそのまんなかに「し」を入れたら藤の花だろ、と即座に回答を出してきました。近くの藤の花をまじまじと観察するとだらりと伸びる軸が「し」の字に見えなくもありません。藤娘は藤の精で藤の枝を持って踊るのですが、いままでなぜ藤なのかということを考えたこともありませんでした。「い」と「し」の藤を「いとしい」にひっかけてのことなのか、と野暮な男は40半ばににしてやっと理解したわけで。謝意を述べると反応をみていて満足したのかふふっと笑ってそれっきりだったのですが、それは横に置いておくとして。

柔軟な頭さえあれば理解できるわりと単純な言葉遊びなわけで。おのれの頭の固さを恥じるばかりであったり。

左を向かない生活

出勤時、いつものように駅のホームへ続く階段に向かおうとして左を向いた瞬間に左の首筋にちょっとした痛みがありました(声が出るほどではない)。寝相は悪くないほうなのですが、どうも寝違えてしまったみたいで、まっすぐのときや右はダイジョウブなのでなるべく左を向かないようにしよう…と内心決めても、痛みがないと忘れてしまう鳥頭なので、勤務先で声をかけられてその方向を向こうとしてそれが左で、そこでまた「!」となり、ちょっとした痛みがががが。そのあとも(視力のよいほうが左、ということもあるのですが)何度か左を向こうとしちまい声は出すほどじゃないけど「!」となっちまったんすけど。

案外普通に生活しててもわりと左に向くことってあるもんなんすね。痛めてからはじめてわかりました。しばらく左を向かない生活をやむを得ず送ります。過去を振り返らないだったらカッコよかったのですが。

イヤな記憶

頭がよさそうな顔をしていないしそもそもさして頭が良いわけでもないのですが、前に仕事で対話せざるを得なかった人に初対面のとき「ああ頭悪そうって思われてるのかな」っていう態度が、言葉の節々になんとなくありました。 途中からあれこれ質問を投げかけてるうちに態度が変わってきたのが見てとれて、人はこういうふうに変化することもあるのだなと観察して勉強になってます。今月、再度その人と接触せざるを得なく、先方からの詳細なメールを読みながらふとそのときのことを鮮明に思い出したのですが、案外イヤな記憶というのは覚えてるものなのだなあ、と改めて気がつきました。 低い低いと思って高いのが尿酸値とプライドですな、ってのが博多華丸大吉師匠の漫才にあるのですが、尿酸値は問題なくてもプライドは微妙に高いせいもあって、(ほんとに頭が悪いかどうかは別として)頭悪そうって思われたことがプライドを傷つけてイヤな記憶になってるのかもなんすけど。プライドって厄介ですね、ってそれはともかく。

もし「イヤな記憶ほど良く覚えてる」というのがもし私だけでないとするなら、私はいくらか無神経なところがある(らしい)ので、逆にイヤな記憶を他者に与えてしまっておのれの知らぬところでいまでも恨まれてるかもしれぬのですが。

仮の解にたどり着くまで(及び上野名誉教授の祝辞を読んでの雑感)

雇用機会均等法というのがあります。それを知ったのは90年前半の高校生の頃です。男子校だったのですが現国および古典の先生として女性教諭がいて、雇用機会均等法の施行により就職したというのを現国および古典とは関係ないおそらく公民分野の授業で教えられた記憶があります。わが母校にはそれまで女性の就職枠がなかったようで。でもって大学へ行くと労働法の授業がありました。労組法、労働基準法労働関係調整法のほかに雇用機会均等法や労使関係論も触れてます。労働法分野の成績はすべてAだったのですがさらに深く学ぶことをせず興味は塩ラーメンになぜゴマがついてるのか…じゃねえ家族法などに向いてしまい、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに」という目的の雇用機会均等法は社会に出るころにはなんとなくあたりまえのことであると考えていました。実際、就職して男性の上司にも女性の上司にも仕えた経験から性別の差で雇用の機会がないとしたら不合理だよな、と感じていましたし、そもそも根っこには平等は無条件でなによりも優先すべき良いことなのでは、という意識がありました。途中までは。

話がいつものように横に素っ飛びます。

(2013年に亡くなられた)辻井喬という小説家・詩人がいます。経営者としては堤清二という名前で西武百貨店などの経営に関与しています。08年に刊行された「ポスト消費社会の行方」(文春新書)という本があり社史の一部を書いた上野千鶴子教授(08年当時)との対談集になっているのですがその中で堤清二の名で法案制定の諮問会議の委員として関わった雇用機会均等法について7ページほど割かれています。当該諮問会議において、堤さんは深夜労働等が制限されていたのが撤廃され男女平等に扱える雇用機会均等法は経営者として有利だから賛意を示したのですが、三菱系企業の委員が「古来より男女七歳にして席同じゅうせず」という美風を前提に労働条件を男女平等にすることに反対意見を述べ、その三菱系企業の委員の前時代的な意見に労組側は反発して労働条件の悪化につながる可能性があるにもかかわらず雇用機会均等法になぜか賛意を示す、という不思議な構図があった上で雇用機会均等法は成立したことを振り返っていました。さらに上野教授は非正規雇用の拡大などによる雇用の流動化が進み均等法が法律の効果として女性を守ることはなかった、と指摘し、女性の労働者にとって最適解の雇用法ではなかったのですね、と堤さんが引き取って上記の本の中ではまとめられているのですが、ここらへんはじめて知ることばかりで、また労働法の授業でAをとって社会に出たにもかかわらず本を読むまで均等法の条文と建前しか知らず深く考えたこともなく、読んでてそれまで実際的な視点がなかったことを恥じるばかりでした。

恥かきついでに続けます(つか恥の多い人生を送っていますが)。

上野教授はこの雇用機会均等法に関して諮問会議のかやの外にいた女性団体は生理休暇他失うものが多く労働強化にしかならないと指摘して猛反発していたことも上記の本の中で述べていて、結果としてその指摘は的中してしまいます。ここで私が引っかかったのが男として非常に書き難いことですが匿名なので恥かきついでに書きます。過去にあった差異を前提にした生理休暇の存在です。(生理を体験してないので知識として知っていても)読むまで過去は休暇があったほどの事象であるという理解がなく、おのれの不勉強を恥じるところがあります。でもってこの一連の流れを眺めてて基本的な疑問が生じてます。

「差異があったとき必ずしも平等でなくても差異を考慮して不合理を回避するための処置は存在したほうがいいのか」

「機会の平等のために差異はなるべく横に置いて平等を追求したほうが良いのか」

と、どっちが良いのかという点です。あたりまえだと思っていた雇用機会均等法は繰り返しますが生理休暇を含め本質的に差異を横に置いて平等を追求した法律です。しかしそこに労働強化にしかならなかった現実があるとしたら、差異を横に置いて平等にすることは最適解ではないのかもしれぬ、という意識が上記の本を読んで08年以降うっすらとありました。ですが積極的平等を是とすることが世の中では受容されなおかつ均等法は法として決まってしまったことでもあり、私の意識は皮膚感覚的なものでしかなく・思想的バックボーンがあるわけでもなく、やはり答えは出ていませんでした。

さらに恥の上塗りをします。

今年の東大の入学式で上野千鶴子名誉教授が述べた祝辞の中で、フェミニズムについて解説があり「弱者が弱者のまま尊重される社会を求める思想です」とあって、カタカナ語に弱いのでフェミニズムを深くは知らず+近寄らずにいたのでやっと「ああそういうことなのね」と氷解してます。私が抱えていた疑問を解くときにこの齧りかけのフェミニズムの思想を流用すると弱者が弱者のまま尊重されるのであるのなら差異があったとき差異はそのままでよいはずで、「差異があったとき差異を考慮して必ずしも平等でなくてもその不合理回避のための処置は存在したほうがいい」のかもしれません。10年以上かかっちまいましたがフェミニズムの力を借りて、抱えていた疑問の、腑に落ちる仮の解にたどり着けています。ただ雇用機会均等法施行から30年以上を経て建前として「平等のために差異は横に置いて平等を追求したほうが良い」ことが正論かつ当然になりつつある世の中なので大多数の人が求める解とはなりえないかもしれないのですが月並みなことを書くと私は上記の本で上野教授の視点が無ければ問題意識も持たなかったかもしれませんし、祝辞を目にしなければ仮の解にもたどり着けなかったかもしれません。ここでまた他者の視点に学ぶことの重要性を改めて思い知ったのですが、私が偶然学んだ他者の視点である上野教授という女性学という独自の視点を持っていた人物を抱えていた東大って改めてすげーよなー、って思いました、って、てめえの抱えていた現実には毒にも薬にもならない問題意識と疑問と仮の解と感想は横に置いておくとして。

私は(東大ではない)大学で解はひとつとは限らないという教育を受けてきたせいもあって絶対的な解があるとは限らないというもののとらえ方がずっとあるので上野教授の祝辞の中にあった「正解のない問いに満ちた世界が待ち受けている」ということについて皮膚感覚としてよく理解できる気がしてます。でもって、アルコール度数の高いお酒をあおったあとのような心地よいひりひりとした感覚がありました。また祝辞が学問とはどういうものかの間接的な紹介にもなってて名文がなにかなんてわかりはしないけど名文かもしれない、とも感じてもいます。そして祝辞の言葉を借りれば「未知を求めて」学生時代にフェミニズムをはじめとした幅広い学問を齧ってればよかったかなあ、という後悔の念も生じてます。もちろん働きながらですから実際にはそんな余裕はなかったし、そんなこといったってあとの祭りであるんすが。あははのは。でもちょっとはそう考えさせるだけの力があの祝辞にはあったような気がしてならなかったり。

風呂敷

ジャガイモを茹で、皮をむいてそのままバターというのも好きなのですが、わりとよくやるのはジャガイモをマッシュにしながらカレー粉とマヨネーズと若干のバターと、最後に(私は九州出身のはてなユーザの方から教えてもらった店で買った既製品を使いますが)フライドオニオンを混ぜる、という料理です。でもってジャガイモを茹でるとき、水を張った鍋に放り込んでもいいのですが、時短のために耐熱ポリプロピレンの蒸し器をつかうことが多いです(どっちにせよ「あちっあちっ」といいながら皮をむかねばならぬのですが)。ジャガイモ以外にもナスを蒸してそれにみりんと醤油のたれをかけたり、蒸したナスにキムチを和えることもしたりします。耐熱ポリプロピレンじゃなくてもシリコンスチーマーでもいいのですが野菜を蒸すための容器はなにかと便利なのではないかと思います。はてな今週のお題が「新生活おすすめグッズ」で、耐熱ポリプロピレンの蒸し器はおすすめするほどではないのですが、台所にあってよかったな、と思ったもののひとつです。

ヒゲタ醤油はありませんがひねたことを少々書きます。

「おすすめ」というのはおすすめする人がこれは良いと思っておすすめすることが多いのですが、必ずしもおすすめする人以外の状況が異なる他人がそれを良いと思うかは別だと思ってて、「おすすめ」というのをあまり私はしません。

しかし今回ちょっとだけおのれに課したルールを破ります。

新生活を迎える人にもそうじゃない人にも、おすすめしたいのは風呂敷です。わりと実用的で、訪問先に持参するとき・訪問先から受領して持ち帰るとき、書類が多いときでも(もちろん少ないときでも)簡単に包めて持ち運びできますし、つかわないときは畳んでカバンの中に入れておくことができます。もちろん初対面の人から不思議がられることもあるのですが、悪印象を与えることはまずありません(風呂敷を広げて書類を渡す・渡された書類を目の前で包む、という動作がどうも好印象を与えるっぽい)。もちろん書類の受け渡しなんかしないよ、って人もいるはずです。が、本もタブレットも包めます。なんでも包める風呂敷はあればほんと便利でよいものであったり。いや、ほんと大風呂敷ではなくて。

寒の戻り

よく使ってるクリーニング屋さんがあるのですが、以前は1個当たり15円引きのクーポン綴りをよくくれました。ところが去春あたりからその15円引きクーポンが消えちまってます。値引きしなくてもこいつはコンスタントに利用してくれてると足許を見られてるのか、経営が厳しいのか、どちらかはわかりません。15円引きクーポンがなくても信用してるので継続してお願いしています。去春までは誕生月になると一律3割引きのクーポンを寄越してくれてて、私は牡羊座4月生まれなのを奇貨として、この時期によくコートであるとかダウンジャケットなどの冬物をクリーニングに出していました。ところが今年は3割引きクーポンがまだ来てなくて、手許にまだ冬物があります。なんだかケチくさいですがまとめて出すとけっこうかかるので様子見していました。

でもって多摩の私の住んでるあたりは雪は降らずに済んだもののなんだか季節外れの寒さで、クリーニングに出してなかった冬物が役に立ちました。なにが幸いするかわかりません。ただ来るかどうかわからぬ3割引クーポンを待つのの時間の無駄かもしれなくて・ケチはほどほどにして、この先寒の戻りがなさそうになったらそろそろコート類を持って行くつもりです。

キリマンジャロ偏愛

死んだ両親は台風の日であろうと大雪の日であろうと入院する直前までどんなことがあっても毎朝コーヒーを飲んでいました。それも必ずキリマンジャロで、そんな家庭に育ってキリマンジャロを小学生低学年の頃からずっと飲んでいたので親が居ないいまでも朝はキリマンジャロです。舌が好ましいと感じるものはおそらく慣れと思い込みなのではないかと考えていますが、浮気をしなかったわけではないもののやはり最後はキリマンジャロの酸味が恋しくなりキリマンジャロに戻ってます。はてな今週のお題が「お気に入りの飲み物」なのですが当然キリマンジャロで、(十二指腸潰瘍のときはちゃんと治せばまたいつか飲めるとおのれに言い聞かせて許可が出るまでさすがに我慢しましたが)キリマンジャロのない日常というのか考えにくくて仮にタンザニア政府がキリマンジャロを輸出停止にしたら私は発狂しかねない日本人の一人で、ですからタンザニアと日本の友好を切に願うところです、って話がズレた。

キリマンジャロあれば安い粉でも良くて、ケチくさいといえばケチくさいのですけど値引きのある8のつく日などにキーコーヒーキリマンジャロの粉をヨーカドーで購入しています。もちろんお値段高めの粉でも良いのですが(コーヒーは上をみればキリがない)、そういうのはがんばったときのご褒美にとっておいています。

40overですから酸いみ甘いも噛み分けてっていいたいところですが、コーヒーに関しては小学生時代からのキリマンジャロに慣れた舌のせいか好き嫌いがどうしても克服できず、ブラック無糖以外の缶コーヒーが飲めません。微糖でもダメ。アサヒからキリマンジャロの缶コーヒーが以前販売されていたもののブラック無糖ではなくて自販機の前で「違う、そうじゃない…」とがっかりした記憶があります。キリマンジャロで無糖でブラックの缶コーヒーがあるなら必ず買うのですが、見たためしがありません。ちょっと不思議です。不思議に思うのはおれだけでキリマンジャロが好きというのはもしかしたら少数派なのかもしれませんが。