内輪の話をするとはてなユーザー以外の人からするとわけわかめになってしまうのですが、はてなでブログを書こうとすると編集画面の目立つところに今週のお題というのが出てきます。はてなの今週のお題が「おうち時間2021」で、そこには
家で過ごす時間が増える昨今、みなさんはどう過ごしていますか?
と書かれてはいます。
のっけから話は横に素っ飛びます。
いま住んでいる街は自治会があって、数年に一度くらいの割合で当番が来ます。無視したいところですがソトヅラよしおさんなのでそういうわけにもいかず、今春から当番にぶちあたってしまってて、先月中旬から月末にかけて自治会費の集金をしていました。私はリモート勢ではないので8軒あるうちある程度は週末に、週末に居ないところは早めに帰れた平日夜に集金できたものの、最後の1軒は週末も早く帰宅できた平日も留守で、かといって曜日を問わず夜8時以降は迷惑かと考えて訪問の趣旨をメモして郵便受に投函しておき、別のはやめに帰宅できた日にその家に電気が灯ってるのを確認して訪問すると在宅で、メモが効いたのかねぎらいの言葉とともに集金に成功しています。「やっと肩の荷が下りる!」とその日の夜、8時前であったので幹事役の自治会の役員さんの自宅にそのまま行くと留守で、お金を郵便受に入れるわけにもいかずに趣旨をメモして投函して日を改めて訪問し、連休の前半にやっと業務を終わらせています。そういうことがあったので「家で過ごす時間が増える昨今」って「ほんとかよ」というのが実感としてあったりします。
話をもとに戻すと、連休後半は最初は信州への旅行を計画して感染の拡大を受けて断念し、次いで銀座松屋のアニメージュとジブリ展を見たあと近くのサッポロライオンでビールというのをニンジンにして仕事に励んでいたら両方とも休業してしまい、感染力の強いウイルスにまつわる報道をみたせいもあるのですが、後半は4日ほど休みになってのうち一度だけ外せぬ用があって三鷹市へ行った以外は残り3日は結果的にほぼ住んでいる街から出ませんでした。その点では意図せず「家で過ごす時間が増え」てます。冬物を仕舞ったり丁寧に風呂の掃除をしたり昼寝をしたり本を読んだりテレビを観たりしていました。
前置きが長すぎた。
4日の夜にBSテレ東で太川陽介さんと蛭子能収さんのローカル路線バス乗り継ぎの旅の京都から宮島まで向かう回の再放送をやっていて偶然それを知り、(2009年の放映ですから12年前のものなのですけど)最後まで見ちまっています。途中、大阪の枚方市を目指すのですが蛭子さんはマイカタ市と読んで窘められます。が、知らない地名でも間違いを恐れずに口にするのをみて「蛭子さんやはりすげー」と思っちまってます。その直後「間違いかどうかもわからないけどじっとしとくより乗ったほうが良いよ」とほぼ直感で来たバスに乗ってしまいます。他にも近鉄大久保駅で「ここ何も面白そうなものなさそうだよね」と空気を読まずに地元の人の前で発言しそれを受けて太川さんが地元の人に観光名所を尋ねてそれに従いさして遠くない一休寺へ行ったりもします。上記のように「ほんとかよ」と疑ってしまったり・どちからというと「間違いがないように」とか考えたり・その場の空気を読んで発言しなかったり、ということを私はしがちなのですが、根にそこらへんのことがなさそうな蛭子さんの行動を眺めてると私が抱えるそれらは「ほんとに必要なのだろうか?」という、人として根本的なところの疑問がどうしても浮上してきちまいました。もちろん正解はわかりません。正解があるかどうかもわかりません。
でもって、意図しないおうち時間の夜って、人を哲学的にさせませんかね?(異論は認める)